藤江 幸宏 裏 プロフィール
Secret Profile
以下に記載のプロフィールは、極めて私的な、私小説まがい(?)のプロフィールです。
時間を持て余してる方、カメラマン又は藤江幸宏個人に興味のある方以外には、全く退屈する内容です!
お仕事用のプロフィールが必要の方は別欄の《 表 》のプロフィールをご覧下さい。
裏プロフィールは続き物です。その1から順にお読みください。
その10 ネクスト・ターニングポイント
「今日、地下鉄に乗ったら、駅の大きな看板に俺の撮った写真が使われてたよ」
「あら、私も今日の新聞広告にあなたが撮った写真見つけたわよ」
21歳から始めた北米取材旅行。
何度も心が折れそうになりながらも、諦めずに撮り貯めて来た膨大なフィルムは、
この頃ようやく僕の手元を離れ、様々な広告物に広く使用されるようになっていた。
24歳から始めた某一流ホテルでの婚礼スナップの撮影も、
レギュラーカメラマンとして認めてもらい、この頃には
土・日・祝日は、ほぼびっしり撮影の依頼が入って来るようになっていた。
とりあえず、独立して直ぐに路頭に迷う事は無い。
ここで僕は考えた・・・
このまま安定路線を選ぶのか?
それとも、新たに他の分野の撮影現場にも飛び込むか?
ただ・・・
簡単に飛び込むと言っても、カメラマンの現場は実に多種多様。
多くのカメラマンは皆それぞれ得意分野を持っている。
例えばウエディングを専門に撮るカメラマンとスポーツカメラマンでは
その知識も技術も使う機材も生活パターンも、
何から何まで全く別の職業と言っても過言ではない。
いや、スポーツカメラマンだけを取り上げたとしても
レース専門のカメラマン、格闘技専門のカメラマン、野球専門のカメラマン・・・
皆それぞれ全くの別物である。
もし僕が今からまた何か新しい分野に挑戦すると言う事は、
また一から下積みに戻ると言う意味で
既に結婚し、28歳になった僕に、また時給数百円で一から下積みを始める程、
そんな悠長な時間は残っていない気がした。
ある程度の年齢までに、自分の足場をしっかり固めておかなければ
いつまでも皆が相手をしてくれるほど甘い世界ではない。
東京であれば、大企業からの依頼を受け
何か一つの分野の撮影だけに特化しても生きていけるかもしれない。
でも、それ以外の場所では・・・
シングル・タスクの人間はやがて消えて行くのは目に見えている。
ならば・・・
新しい分野へ挑戦するなら20代の今しかない。
結局僕は、
その時点で自分で出来る仕事は、全てそのまま現在進行形として維持し続け
それとは別で、他のフリーカメラマン達に声をかけまくった。
学校関連の撮影をメインにしているカメラマン
スーパーやデパートなどの商品撮影をメインにしているカメラマン
建築写真をメインにしているカメラマン
イベントやショーの撮影をメインにしているカメラマン
雑誌やガイドブックなど取材をメインにしているカメラマン
ポートレイト撮影をメインにしているカメラマン
独立し、事務所を構え、様々なコマーシャル撮影をメインにしているカメラマン
僕はこれらの現場に片っ端から顔を出し、まずは先輩カメラマンのアシスタントをし、
そこで少しずつ技を盗み、知識を盗み
雑用から相棒、そして代替カメラマンへと、立場を変えて行った。
外から見ている分には、簡単そうに見える撮影でも
実際の舞台裏では、皆それぞれプロの隠し技があり
皆それぞれプロの機材が要り
皆それぞれプロのこだわりを持ち続けて仕事をしていた。
本音を言えば・・・
「この現場には行きたくないな〜」
「この人と一緒に仕事をするのは苦手だな〜」
と、撮影内容にかなり好き嫌いはあったのだが、今は修業期間。
とりあえず自分の気持は横に置いといて
可能な限り、チャンスのある限り、様々な現場を体験させてもらった。
例えば・・・
学校関連撮影のプロからは、修学旅行での撮影地の見取り図や、撮影状況
駐車場から目的地までの距離や、途中のマル秘ポイント等の具体例
果ては旅館の女将や、土産物屋の名物おやじ、バスガイドさんの情報まで
事細かに聞き出し、データを作って行った。
商品撮影や取材などの場合、現場は戦争のような状況で
とてもその場で細かいデータ整理などしていられないが
印刷物が仕上がった時に、撮影時の状況を頭に思い浮かべ、
「こういう写真がいる場合は、あの時のようなセッティングを組むんだな」
と、写真と現場で見た設定を頭の中で照らし合わせる訓練をした。
そのおかげで、現在も写真を見たら、直ぐに
「この写真はどういう状況で撮影された物なのか」
・・・を考える癖が染み付いた。
人物撮影等の場合、セッティングを手伝うのは当然の仕事だが、
セットがほぼ出来上がると、進んでメーター持ちをさせてもらった。
これは発光されたストロボの光を、モデルの位置で、
単体露出計を使って読み取る役である。
こうすれば見た目のライトのセッティングだけでなく、
どのライトからどのくらいの光量を飛ばして、どんな露出を組んでいるのかという
ポートレイト撮影の一番核心部分を、《盗み知る》事が出来る。
そして撮影が全て終わると・・・
ごみ箱の中から、打ち合わせ様にテスト撮影したポラロイドを拾って来て
細かくライティングや露出を書き込み、ファイルした。
その甲斐あってか、僕は自分で言うのも何だが非常に吸収が早かった・・・と思う。
そして徐々にではあるが、様々な会社や多くの人達から、
僕自身を指名して直接撮影の依頼が入るようになってきた。
この頃は、良くも悪くも日々刺激の連続であった。
同じ場所で、同じスタッフと、同じ撮影を、同じ様にこなして行く事は・・・
ほとんど無い。
新しい場所で、見知らぬ人と組んで、無理難題を平気で言うスポンサーを相手に
撮影を続けて行く事は、絶えず緊張とプレッシャーとの戦いである。
個人で仕事をするフリーカメラマンという立場は、
結果は全てストレートに自分にのしかかって来る。
失敗は決して許されず、責任はとても重大だ。
そして、一旦自分で受けた仕事は他には回せない《自分の仕事》として
体調管理を徹底してするようになった。
お陰で今では10年に一度しか風邪をひかない体になった。
ただ、その分・・・
仕事はきつく、超不規則
当然、曜日も時間も全く関係無い
でも・・・楽しかった
自分で頭を使い、物事を一から組み立てていく充実感
企画し、交渉し、製作していく達成感
高校を出て初めて勤めた写真スタジオでは、どうしても見付ける事が出来なかった
《やりがい》を、嫌と言うほど実感出来るようになっていた。
そして、確実に僕の仕事は増えて行き
最も重要な横の繋がり《人脈の輪》も広がって行った。
バブルが崩壊し心配していた収入も、右肩上がりで増加していった。
貯めたお金で、定期的に北米大陸への取材旅行へ出かけて行く事も
既に僕のライフワークとなっていた。
フリーカメラマンとしての足場を固め、仕事は軌道に乗り、収入も安定し
これで全て安心!
万々歳!!
・・・と
と?・・・
本来なら、なるべき所だが
ここで僕はまた考えた
このまま安定路線を進むべきか?
それとも、新たな道へ飛び出すべきか?
そう・・・
僕が独立してから、早くも次のターニング・ポイントの三年を向えていた。
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「おいっ、せっかく仕事を軌道に乗せて、収入が安定して、それでいいじゃないか!
・・・ったく、こいつは何を考えてるんだ!」
自分で読んでて腹が立ってきましたが・・・
同じ様に御立腹の方々は、いよいよクライマックスへ向けて大きく舵を切って行く・・・
その11 旅立ち へとお進み下さい。
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