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藤江幸宏写真事務所 


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 YUKIHIRO FUJIE PROFILE


藤江 幸宏  プロフィール
Secret
Profile


以下に記載のプロフィールは、極めて私的な、私小説まがい(?)のプロフィールです。
時間を持て余してる方、カメラマン又は藤江幸宏個人に興味のある方以外には、全く退屈する内容です!

お仕事用のプロフィールが必要の方は別欄の《  》のプロフィールをご覧下さい。
裏プロフィールは続き物です。その1から順にお読みください。



その9 石の上にも三年




28歳 夏

僕は、お世話になったエージェントを退社し、
完全にフリーカメラマンとして独立した。



独立はしたが・・・
次の目標設定が明確になって辞めたわけではなかった。
ただ僕の中では、早い段階で3年と決めていた。

それまでの僕の行動パターンでも、3年というのが
いつも大きなターニング・ポイントとなっていた。


1年目は、仕事に慣れ、学び、様々な事柄を自分の中に吸収する修行期間。

2年目は、1年目に取り込んだ情報や技術を自分の物として活用する実践期間。

3年目は、2年間の経験に自分なりの工夫を加えて一段階上を目指す応用期間だと思っていた。


このままこの会社に骨を埋める覚悟があるなら話は別だが
いつかフリーカメラマンに戻るための勉強期間として考えるのなら
(言葉は非常に悪いが)これ以上は意味が無い
これ以上無駄に時間を使いたく無い、もっと現場に近い場所に戻りたい
・・・と言うのが本音だった。


・・・だが・・・

僕の独立と前後し、世の中にはこんな言葉が溢れかえるようになっていた




「バブル崩壊!」



数年間も続いた空前の好景気から一転
日本経済は不景気と言う名の長く暗い坂道を転がり始めたのだ。



ここで少し話は前後に飛んでしまうが、バブル景気について簡単に触れさせてもらうと・・・

1985年9月22日のプラザ合意に基づき、世界の為替市場は急激な円高へと走り出す。
これが、いわゆるバブルの起点である。
(ここでの細かい話は省略するが)国内では内需拡大が叫ばれるようになり、
1986年11月より51ヶ月間にもおよぶ超大型の好景気時代が続く。
人々は大挙して海外旅行へと出かけ、高級志向へと突き進む。
不動産価格は止まる事を知らず上昇し続け、広告費は湯水の如く垂れ流された。

これが、世に言う・・・バブル景気である。

そして、この円高〜バブル景気への流れは、そのまま僕の取材活動に重なっていた。

当時勤めていた会社の空前の好景気、円高、海外慰安旅行・・・
僕が初めてアメリカの土を踏んだのは86年12月。
正にバブルの始まりと同時期だった。

その後、様々なアルバイト生活を経て、エージェントの仕事を手伝っていた期間
下積み修行期間中は、正にバブル花盛りの時期だった。

トップクラスのカメラマンは、今では信じられないような金額を毎月稼ぎ出し
自前のスタジオを建て、高級車を乗り回し、
アシスタントを何人も引き連れて海外取材に出かけて行き
気に入った物件を見つけては海外に別荘を購入していた。

トップクラスのカメラマンだけではない
僕よりわずか数年先(5〜6歳くらい上?)のカメラマン達でさえ
それほどキャリアや技術が有る訳で無くとも、直ぐに独立して個人事務所を設立、
濡れ手に粟の状態で、バンバン大金を稼ぎ出していた。

僕はそれをいつも横目で睨みながら・・・
「もう直ぐ俺も独立して、きっと大金を掴んでやる!」
そう思いながら働いていた。

辛い時期を知らなければ、幸せを感じる事も無い。

石の上にも三年、今はぐっと耐える時・・・

1年
2年
3年

機は熟し、いよいよ念願のフリーカメラマンとして独立!


・・・が


バブルは既に弾け飛んで消えていたのである。




先輩カメラマン達からは
「考え直せよ、よりによってなんでこんな景気の悪い時に独立するんだ?」
と言われたが、直接バブルの恩恵を受けた経験の無い僕にとって、
それは逆に大きなチャンスのような気がした。


「カメラマンなんて飛行機の尻尾みたいなもんだよ・・・」

と、別の先輩はそう言った。

「上がる時は最後、でも・・・下がる時は最初」という意味らしい。


世の中が、宣伝広告費を削減する為に躍起になり始めると、
一番大きな手段は無駄な人件費を削る事。
特に技術系の人件費が、全体の支出の中に占める割合は非常に大きい。
まずは人数が絞られ、次第にそのランクを下げられる。

バブル前、一日五万円プラス経費で仕事をしていたカメラマンが
バブルの波に押し上げられて良い気になり、気が付けば一日数十万円なんて事になっている。
だが肝心の写真の中身は、その間なんら変わって無い場合も多い。
いわゆる《バブル・カメラマン》である。

そんな中でも《カメラマン自身の名前》で仕事が取れるのは、
極一握りの有名カメラマンだけ
それ以外はどんどん切り捨てられ、単価の安い若手カメラマンに仕事は流れる。

昔、世界中を我が物顔でのし歩いていた大型恐竜達も
巨大隕石の直撃による気候変動に対応出来ずに一気に消えてしまい、
残ったのは頭が良く適応力のある者だけだった。

バブルという超巨大隕石の直撃を受けた日本
まるで大型恐竜のように我が物顔でふんぞり返っていた
銀行、不動産、広告業界・・・そしてバブル・カメラマン
一度甘い汁を吸った人達が、正気に戻るのは簡単な事ではない。


だからこそ
独立して間も無い僕にも、必ずチャンスはある!


そして、何よりも重要な事は
収入の全てを自分の撮影した写真で、稼ぎ出すと言う事だ。

長年アルバイトをして撮影の資金を稼いできた僕にとって
「写真を撮る事が自分の仕事だ」と胸を張って言える事が
何よりも重要であり、幸せな事だった。


こうして僕は、先輩カメラマン達からの忠告を聞き入れず・・・


無謀にも、独立



・・・・してしまった。



**********************


「あ〜ぁ、やっちゃった・・・」

他人の意見を聞かないのは昔からの悪い癖(苦笑)
ほんと困った奴だな・・・と、呆れた方は

その10 ネクスト・ターニングポイント へとお進みください。きっともっと呆れます(笑)。

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