藤江 幸宏 裏 プロフィール
Secret Profile
以下に記載のプロフィールは、極めて私的な、私小説まがい(?)のプロフィールです。
時間を持て余してる方、カメラマン又は藤江幸宏個人に興味のある方以外には、全く退屈する内容です!
お仕事用のプロフィールが必要の方は別欄の《 表 》のプロフィールをご覧下さい。
裏プロフィールは続き物です。その1から順にお読みください。
その7 プロの眼
意を決して行った東京で、元々わずかしかなかった自信を木っ端微塵に砕かれ
仕方なく大阪に舞い戻った僕は
またアルバイトをして資金を貯め、北米を目指すという
以前と全く変わり栄えのしない日々を送っていた。
だがもう迷いは消えていた。
奴らの言う「プロに絶対なってやる」
動機はかなり不純かも知れないが、そんな事はどうでもよかった
「やってやる、絶対見返してやる!」
・・・という気持だけは、確実に強まっていた。
そんなある日、母が言った・・・
「一緒に絵のお稽古をしてる私の友達のお姉さんの旦那さん(←ややこしい!)がカメラマンで
今、丁度大阪駅の近くで個展をしてるらしいけど・・・行ってみる?」
カメラマンの名前は「アンダ知宏」
日本広告写真家協会の理事をされていた程の、写真業界では大御所の大先生である
だが、業界の事などあまり知らなかった僕は、それまでアンダのアの字も聞いた事が無く、
とりあえず行ってみるか・・・
というくらいの軽い乗りで、出かけて行く事にした。
大阪・梅田にあるキャノンサロンの2階ギャラリー
「ほーっ、そうか、君も写真をやってるのかね・・・
じゃあ、こんど時間のある時にでも、是非作品を持って一度遊びに来なさい」
軽く笑みを浮かべながら、アンダ先生がそう言った。
その時僕の横には、
先生の奥さんの妹の絵画教室の友人である僕の母親(ややこしいって)がいた、
先生としては内心「めんどくせーな」と思っていたかもしれないが、社交辞令の意味も込めて
「是非遊びに・・・」
なんて言われたのかも知れない。
だが、こんなチャンスを逃すはずはなく
僕はその後、何度も先生の家を尋ねて行くようになった。
先生は何事にも全く妥協を許さない、とても厳しい方だった。
僕が中途半端な気持で、迷いながら撮影した写真は直ぐに見抜かれ
「ふんっ、なんだこれは?・・・こんな写真を持ってても何の役にもたたん。
捨ててしまえ!
・・・と言っても自分じゃ捨て難いだろうから・・・」
・・・と、その場で火を付けてオリジナルのフィルムを燃やしてしまうことさえあった。
だがなぜか、僕はこの先生に怒られるのが好きだった。
3歳の時、父親がガンで亡くなった僕にとって、
《大人の男》に面と向って説教されたり、怒られたりする事が
怖くもあり、不思議でもあり、少し新鮮でもあった。
僕は毎回先生の話にのめり込んでいった。
写真の話はもちろんの事、海外取材での様々な話、人としての話・・・
とにかく先生の話しは、とても刺激的で面白かった。
だが、それはバラエティー番組のように大声を出してその場で笑う面白さではなかった。
些細な会話や、ほんのちょっとした仕草の中に鍵が隠されていて
時間が経過してから、その謎が少しずつ、じわじわと解けて行くような
まるで推理小説を読み解いていくような面白さだった。
物事に対する目の付け所が、普通の人とはまるで違い、
話しの切り口が独特でとても鋭い。
僕はそこに生まれて初めて《プロ》を感じた。
意を決し、売り込みに行った東京で、嫌と言うほど聞かされた言葉
《 プ ロ 》
その《 プ ロ 》の世界を、覗き見た気がした。
・・・と同時に、きっと僕の薄っぺらさも見抜かれていたに違いない。
それでも懲りずに・・・
僕はアルバイトで資金を溜めては、北米に行く生活を続けていた
そんなある日、先生から電話がかかって来た・・・
「藤江君、君はまだアルバイトばっかりしてるのか?」
「はっ、はい・・・」
僕のその自信の無さそうな返事を聞いて、
先生は「フ〜ッ」と短く溜息をついてから、ゆっくりとこう言われた。
「実は、僕が昔からお付き合いさせてもらってるエージェントが大阪に在るんだが
今そこで人材を募集してる・・・どうだ、君、行ってみる気はあるかね?」
「えっ、ええっ?」
僕は自分の耳を疑った。
「写真業界で働ける!?」
だが・・・
「はい、今直ぐに行きます」と言いたい気持と、
もしそこで働き出すと、今まで続けて来た北米の取材には、もう行けなくなる?
・・・という不安な気持ちが同居していた。
直ぐに返事をしない僕に、先生が続けた・・・
「アルバイトをして、お金を貯めながら撮影を続けるのも悪いとは言わん、だが・・・
もう一度業界の中に入って、じっくり勉強をするのも・・・無駄じゃないと私は思うがね」
僕の薄っぺらな自信も、揺れ動いていた気持ちも、どうして良いのか分からない迷いも、
先生には全てお見通しだった。
結局僕は、先生のその言葉に背中を押されるようにして、
あるフォトエージェントの扉を開けた。
それ程広い訳ではないが、事務所の壁を覆い隠すように並べられたキャビネット
その中には全国の、そして世界中の《プロ》カメラマンが撮影した写真が眠っている。
僕は興奮が押さえられなかった。
アルバイトとしてではなく、僕もいつかあのキャビネットに写真を預けられる
《プロ》になりたい。
長い間ぼやけたままで、どこへ向かえば良いのかさえ分からなかった方角が
今はっきりと目の前に見えた気がした。
面接の中で、僕は北米の取材旅行をこれからも続けて行きたい事を
正直に全部話してみた。
会社にとってはとても迷惑な話だと思うのだが・・・
幸いな事に、ここの会社の社長H氏は僕のわがままな夢を理解してくれ、
毎年北米への取材旅行に出かけるカメラマンという立場を尊重しつつ、
日本にいる間は準社員として雇ってくれた。
これだけでも充分に幸運な出来事なのに
更に・・・
更に、更に・・・
その何十倍も驚いた事があった
いろいろ説明をしてくれるH社長の直ぐ斜め後ろ、
その会社の壁に掛けてあったのは・・・
僕の心が折れそうで何度も諦めそうになった時、
毎日、毎日工場で呪文を唱え続けていた
あのカレンダーだった!
笑う事を忘れ、話す事を忘れていた辛かったあの頃
憧れ、励まされ、毎日生きる気力をもらっていたあのカレンダーは、
このエージェントと取引のあるカメラマンの作品で作られていた。
ここで働くと、こういう写真を撮る為の勉強が出来るんだ
こういう写真を撮るプロのカメラマン達の、生の話が聞けるんだ
僕はまるで初恋の人に巡り合ったかのように興奮し、
いつまでもそのカレンダーを見つめていた。
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ようやく写真業界に復帰し、これからまたカメラマンの道を歩き出そうと言う所まで来ました。
更に続きも読んでやろーかな、なんていうボランティア精神旺盛な方は
その8 ・ 回り始めた歯車 ・・・へお進み下さい。
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