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藤江幸宏写真事務所 


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 YUKIHIRO FUJIE PROFILE


藤江 幸宏  プロフィール
Secret
Profile


以下に記載のプロフィールは、極めて私的な、私小説まがい(?)のプロフィールです。
時間を持て余してる方、カメラマン又は藤江幸宏個人に興味のある方以外には、全く退屈する内容です!

お仕事用のプロフィールが必要の方は別欄の《  》のプロフィールをご覧下さい。
裏プロフィールは続き物です。その1から順にお読みください。



その 4  強硬開国




 「あほんだらー…何をぐだぐだ言うとんねん!」


受話器を30センチ程も離しているのに、その声はまだ充分僕の耳に響いて来た。

「ええか!必ずお前も参加しろよ、これからの時代に世界を知らんでどうするんや!
ええなー、分かったなー」

ガチャン!!

ツーツーツー…

 僕の返事など全く聞かずに、関西弁丸出しのその電話は、
もう一方的に切れていた。
 
  当時、僕の勤めていた会社の社長は、『超』が三つ付く程のワンマンな人で、
こちらの都合など全くお構い無しに、社員は強制的に慰安旅行への参加を義務付けられていた。



 1986年
会社は空前の好景気に沸いていた。
そして、「いかにして経費を増やすか?」という事を、上層部は考えていたらしい。
 

そんなある日の朝
僕のその後の人生を根本から大きく変える大事件(?)が起きた。

急遽、行われた社員全体会議

そこで突然発表されたのは・・・海外慰安旅行計画。
 
 行き先は、なっなんと……


アメリカ西海岸!!!


 
まあ、今の時代ならあまり珍しくもない話しなのだが
 時代はまだバブル景気に日本中が沸く少し前、
急激な円高で、皆が海外旅行へと出かけるようになるまだ少し前の話しである。


 当然、会社内は騒然となった。

前年まで地元の遊園地にさえ連れて行かないような会社が、
突然、ロサンゼルスのディズニーランドへ連れて行くと言い出したのだから、
素直に「はい、そうですか」などと信じれるものじゃない。


更に言えば、僕は大の外国嫌いで英語なんて大嫌い
「大阪が世界で一番じゃい!」と言い続ける根っからの関西人。

「嫌や、そんな外人だらけのとこ、絶対嫌や」
と、いつまでも個人鎖国制度を訴える僕に、かかって来たのが
冒頭の黒船ペリーからの電話・・・

いや違った・・・社長からの電話。


僕はその電話に圧倒され、渋々慰安旅行という名の
《強硬開国》をする事となった。




21歳、冬

今のように誰もが気軽に海外旅行に行く時代ではない。

海外の情報に乏しく、ほとんど何の知識も無いままに出かけて行ったアメリカ西海岸

だが・・・

僕はこの慰安旅行で、自分が長年探し求めていた物、
写真スタジオに勤務していた時には、どうしても見つけられなかった《何か》を、
はっきりと見つけた気がした。


人には必ず、自分に《ピタッ》と合う場所が、世界のどこかに在ると言う。

そして僕にとっての北米大陸は、
探し求めていたパズルの最後の1ピースのように・・・

まさに《ピタッ》と、はまったのだ。


大平原の中をどこまでも続く一本のハイウェー。
吸い込まれそうな青空に向って延びるパームツリー。
大きな庭、長く伸びるドライブウェー、その遥か先に聳え立つお城のような高級住宅。
サングラスにピンクのビキニ姿で、ブロンドをなびかせながらオープンカーが疾走して行く…

「こんな世界、映画の中だけだ」と思っていた風景が、
今、現実の世界として、目の前に広がっている。
 
 僕にはもう見る物、聞く物の一つ一つが新鮮で、強烈で、
それまでに一度も感じた事の無い、心のそこからワクワクするような感覚に、
全身が包まれて行くような気がした。
 
 「そうだ、俺が探してたのはこれだったんだ!・・・
これが撮りたい、ここに戻って来たい、
そしていつか必ず、ここに住みついてやる!」


 今思うと、とんでもなく大袈裟で、かなりはずかしい誓いのようにも聞こえるが、
それまで占いも、超能力も、神様も・・・
とにかく自分に都合の良い事以外は全く信じなかった僕が、
その時小声で呟いたその言葉だけは、なぜだかしっかりと信じる事が出来たのだ。

 
わずか1週間の慰安旅行。

だが、僕にとってのその1週間は、
それまでの21年を一気に塗り替えるのに、充分過ぎる時間だった



生れてはじめてのカルチャーショックを全身に痛いほど浴びた僕は、
旅行から戻ると直ぐに、生活の全てを激変させた。

子供の頃からそうだが、僕は何か明確な目標を見付けた時
ひたすらその目標に向ってのめり込んで行く性格らしい。

その時の僕は、正に水を得た魚だった。

それまで手にした事も無かった北米の資料やガイドブックを読み漁り、
片っ端からパンフレットを集めて回り、
あれほど嫌いだった英会話の教材を片手に
もう一度北米に行く事だけを考えて、毎日生活するようになっていた。


そして・・・
僕の頭の中に強烈に焼きついたまま離れようとしない北米の印象を、
慰安旅行で撮影した大量の写真を
ある日、1冊のアルバムとして形にした。


僕は、そのアルバムを会社に持って行き、
隣の席に座るYさんに軽い気持ちで見せたのだが・・・

Yさんは、しばらく黙ったままそのアルバムをじ〜っと見つめ
「ふ〜む・・・」と言った後、突然・・・

「これ私に預けて・・・・大丈夫、任せとき!」

・・・と言うと、アルバムと共に部屋から出て行ってしまった。


それから1週間

そのアルバムは会社内をグルグル旅した後、
驚く程大きなお土産を持って、僕の元へと帰って来た。

なんと、アルバムの横に、そのアルバムと全く同じレイアウトで

《焼増しプリント申込帖》

・・・という物が付けられ
その中には、社員からの焼増しオーダーがびっしりと書き込まれていた。

中には、「丸ごと1冊全く同じアルバムを作って欲しい」と注文する人までいて
なんと・・・
写真の焼き増し総数は・・・千数百枚にも膨れ上がっていた!


それほど社員が多いとも言えない会社で、
この焼き増し数の多さは、驚きを通り越して、少し異常にさえ思えた。


そしてこの焼き増し枚数の多さが・・・

僕の単純な思考回路を更に強く刺激し

「アレッ、俺ってもしかして・・・撮影の才能有るんじゃないの?」

などというとんでもない勘違いを引き起こし、
再びフリーカメラマンへの道を歩き始める大きな追い風となっていった。


「俺の写真をこんなに褒めてくれる人達がいる、こんなに必要としてくれる人達がいる」
僕は、もうすっかり忘れかけていた写真を撮る事の楽しさ、
そして喜びを、再び思い出した。



慰安旅行後、僕はもらった給料にほとんど手をつけずに溜め込み、
旅行から5ヶ月後にはお世話になった会社を辞め、
更に効率の良いバイトを3ヶ所掛け持ちして
溜めれるだけ溜め込んで

再び北米へ向かうための旅費を作リ出した。




そして無謀にも・・・
西海岸だけではなく、広い北米大陸をぐるっと一周撮影して回った。

と、言えば聞こえは良いのだが・・・

英語は全く出来ない
広い広い大陸の距離感も、時間の間隔も
どこからどう動いて、どこを目指せば良いのかも
右も左もさっぱり分からない


上出来だと思い込んでいた写真も・・・
今、見直すと、とても使えるような代物ではない

日本に帰って来て、誰かに
「今、何をしてるの?」
と聞かれても、とても胸を張って
「カメラマンとして北米の写真を撮ってます」
・・・などとは、言える自信も無い!

ないないない・・・何にも無い!

だが、ただ一つ

日本では感じた事の無かった、身体の奥底深くから沸き上がる強烈な刺激に、
全身が包み込まれていく感覚を知った。


それ以来、僕は北米の取材旅行を毎年繰り返し・・・
いつのまにか、どんどんこの大陸の魅力から抜け出せなくなっていた。



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更に続きを読んでやろうじゃないか!
・・・という変わり者の方は

その5 ・ 1枚のカレンダー へとお進み下さい。


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