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藤江幸宏写真事務所 


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 YUKIHIRO FUJIE PROFILE


藤江 幸宏  プロフィール
Secret
Profile


以下に記載のプロフィールは、極めて私的な、私小説まがい(?)のプロフィールです。
時間を持て余してる方、カメラマン又は藤江幸宏個人に興味のある方以外には、全く退屈する内容です!

お仕事用のプロフィールが必要の方は別欄の《  》のプロフィールをご覧下さい。
裏プロフィールは続き物です。その1から順にお読みください。



その5  1枚のカレンダー




20代前半の僕は
頭のてっぺんからつま先まで、どっぷりと北米の魅力に浸かっていた。

そして、いつしか・・・
北米で撮影する事ばかりを考えて、毎日暮らすようになっていた。


一方、高校の写真科時代の同級生達は、皆この数年で大きく変化を遂げていた。
写真とは全然違う分野に進み、真面目にサラリーマンをしている奴。
自分の店を持つ為に、飲食店で修行する奴。
故郷を離れ、夢を目指して東京へ進出した奴。
既に結婚し、主婦として平和な家庭を築いている奴。

皆、何かを見付け、何らかの方向へ向かって
確実に歩いている気がした。

だが・・・

「俺が今やってる事は、はたして前に向って歩いてるんだろうか?」
幾ら自分に問い掛けてみても、答えは出て来なかった。

汗水たらして貯めた大事なお金と、戻って来ない貴重な時間を、
北米大陸取材という名の《自己満足》の為に
ただ無意味に浪費しているだけのような気がした。


「自分の進む道は自分で切り開かなければ!」

・・・そんな綺麗事がよく言われているが

僕はただ闇雲に、樹海のど真ん中で、
目の前にある木を切り倒す事に夢中になっているだけのような気がしていた。
切り倒しても、切り倒しても、その木の先には、また別の木があるだけで
一体どこに進んでいるのか自分自身でも良く分からないでいた。

本当にこんな事を続けていて良いんだろうか?
そんな思いが、絶えず僕の頭の中でこだましていた。


だが、やめれなかった。

やめるわけにはいかなかった。

北米大陸の取材活動を続けている事
ただそれだけが、当時の僕の生きている証のような気がしていた。

それまで自分の好き勝手ばかりやって来た。
バイクを乗り回し、やんちゃばかりして、
他に胸を張って人に言えるような事など、一つも見つからない。

もし、ここでやめたら、何もかも無くなってしまう・・・

もはやそれは自分の志なんて言う、かっこの良い物ではなく、
一種の義務感であり、途切れる事への恐怖感に近かったのかもしれない。




そんな気持を隠したまま、僕は北米大陸の取材を続けていた。


そして当然、月日の流れと共に、手元の写真はどんどん増えて行くのだが

さて?

この写真を一体・・・
どこに持って行けば良いのか?
どうすれば使ってもらえるのか?
どのように、この写真がお金に代わって行くのか?
当時の僕には、写真錬金術が、まるで分からなかった。


それでも、写真を撮り続けて行くためには、かなりの資金が必要だった。
カメラにレンズ、フィルム代やその後の現像代にプリント代
しかも、海外に出て数ヶ月間取材旅行をする為には、
ある程度以上のまとまった資金がないと話にならない。


僕は日本にいる間、一切無駄使いをせず、
ただひたすら守銭奴と化し、アルバイトをして資金を貯め続けた。

それが正しいかどうか?そんな事は関係なかった。
ただ、この撮影を続けて行く事だけが
その時の僕の答えの全てだった。





そして、ある程度の金額が溜まると・・・

貯まったお金を全額握り締め
北米大陸に数ヶ月間の取材に出かけて行き、すっからかんになると帰って来る
そんな生活を、ひたすら繰り返していた。


時々、貯金が趣味のような人に出会う事がある。
何か目的が有ってお金を貯めている訳では無く、
貯金通帳の金額が増えて行く事自体が楽しみという人だ!

だが、当時の僕は、お金にはほとんど興味は無く、
北米に行く事が全てで、お金はその為に必要な分だけが貯まれば良かった。
その為、いかに短期間で効率良く稼ぐかが大きなポイントだった。


この頃に経験したアルバイトの種類は、今直ぐに思い出せる物だけでも・・・

大型スポーツ店でスキー用品の販売、新型電話器の訪問販売
スキーツアー客の誘導係、レンタルビデオの店員、デパートの宅配業務、
石焼きイモ・ワラビモチ・古紙回収業(この三つは軽四に乗って走り回る仕事)
個人的に頼まれて名刺やTシャツのデザインをする、
建設現場での肉体労働、夜間のトンネル掘り

「兄ちゃん、金がいるなら・・・うちの店でホストする気はないか?」
・・・と、誘われた事もあったが、その手の仕事は
とても僕には出来そうもないのでお断りした。

そして最後にしたアルバイトが・・・
大手メーカーからの下請け工場で、機械製品の部品を製造する作業だった。

これは、はっきり言って・・・きつかった!
体力以上に、精神的に辛かった

僕は身長が178センチあり、学生時代はずっと空手をしていたので、
若い頃は結構筋肉がムキムキと付いていた。
その為か、同じ日に入ったアルバイトにも関わらず、
なぜかいつも体力のいる仕事、きつい仕事にばかり回されていた・・・

毎日、朝6時半に家を出かけ、7時45分から朝礼
8時丁度にサイレンと共に動き出すベルトコンベアとの睨み合いが始まる

次々に流れて来る部品を拾い上げ、作業をして、直ぐ次に流す

単純な作業だが、この流れを数秒毎にひたすら繰り返し
夕方5時まで誰とも一言も口をきかずにロボットと化すのだ。

大袈裟なようだが、ほんとによそ見をする暇も無い

立ったまま、ただひたすら繰り返えされる同じ作業
脚はパンパンになり、肩は重く、腕はしびれ、目まいがする

ある日の事・・・
毎日毎日、同じ動作を繰り返すので、
いつも機械に擦れるジーンズの太ももの部分が少しずつ破れていくのだが、
いつしか破れが大きくなっていき、
次には直接機械に触れる太もも自体が切れていき、
気が付いていても手を止めれずに、その場から離れる事も出来ず、
どんどん、どんどん足元に血がしたたっていた。


この頃の僕は、性格がどんどん歪んで行く気がしていた。

毎日、長時間ベルトコンベアの流れを目で追い続けるので、
脳に異常な程のストレスがかかり、目には疲労が溜まり過ぎて、
顔の筋肉がピクピク、ピクピク痙攣をおこして止まらなくなっていた。

「自分は一体何をしているんだろう?」
「この先にどんな未來が在るんだろう?」
「俺はこれで本当にカメラマンだと言えるのか?」
自分自身に問い掛ければ、問い掛けるほど
情けなくなっていった・・・

表情を無くし、会話も忘れ、ただ同じ時間に同じ場所をさまようゾンビのような日々



そんな毎日を送っていた僕にとって、唯一心の支えになっていたのが


壁にかけられた1枚のカレンダーだった



薄暗く殺風景で、何一つ飾り気のないこの工場で、
入って直ぐ目に付く場所に、1枚の(1セットの)カレンダーがかけられていた。

写真はおそらくアメリカの西海岸のイメージ写真だと思う

夕陽や夜景など、その場の光を実に見事に読み込み、
ふわっとしたソフト系のイメージ写真に仕上げてあるのだが、
なぜかその写真は見る者に強烈なインパクトを与え
不思議な色使いと、なんとも言え無い独特の雰囲気が、
そのカレンダーから溢れ出していた。

誰がいつ撮影した写真なのか、詳しいキャプション等は全く分からない。
でも僕はその写真を頭の中に想い描ける程、
毎日、毎日見続けていた。

朝一番に元気をもらい、昼休みにやる気をもらい、仕事終わりに明日への希望をもらい
真っ暗な日々の生活に勇気をもらい続けていた。

どこの誰だか分からないカメラマンに憧れ
そして・・・・

嫉妬していた。



「俺だって本当はカメラマンなんだ、写真を撮る為に今ここで働いてるんだ・・・
俺もいつか必ずこんな写真を撮るんだ、その為の資金を稼いでいるだけなんだ。
誰に聞かれても、胸を張って『職業はカメラマンです』と言えるようになる為に、
今ここで働いてるだけなんだ・・・」

僕は毎日毎日そのカレンダーを見ながら、呪文のようにそう呟き続けていた。





*****************




アルバイトばっかりして、一体いつカメラマンになるんだー!
とお怒りの方、もう少しお待ち下さい。

次回はいよいよ写真業界への接触を再開します!!

そして、呪文を唱え続けたカレンダーとの奇妙な縁・・・・

仕方ない続きも読んでやるか・・・と言うまだまだ元気な方は

その6 ふざけるな〜!・・・へお進み下さい。


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