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2007年4月2日 《前回、前々回からのスケートの続きです。そちらから先にお読み下さい》


まさか40歳を過ぎて自分のスケート靴を買うとは思ってもみなかった。それも日本では一度も履いた事の無いホッケー用のスケートを・・・


4歳になった次男が、この冬からスケート教室に通い始めた。

だが、レッスンが始まっても、彼は全くリンクへ出て行こうとはしない。無理に抱きかかえてリンクの所まで行っても直ぐにまた戻って来る。コーチに体を支えてもらい、どうにかリンク中央まで行っても、本人に全くやる気が無いので、体に力が入ってないらしくフニャフニャでまるでタコのようだ。


同じく4歳の時からスケート教室に通っていた長男の場合は、4歳の時点で既に中身も《長男》であった。彼は、いつも人の輪の中心にいて、皆が自分を注目してくれる状況が大好きだった。そしてその場を自分が仕切る事に喜びを感じる・・・いかにも長男の性格だった。
それだけに、リンクの上で自分の思うように行かない事がストレスとなり、上手く滑れない事を悔しがり、反発し・・・そしていつしか上達していた。

だが、次男は4歳になった今・・・・やはり立派に《次男》として育っていた。
自分の好きな事を見つけると、集中し夢中になってコツコツといつまでもマイペースでやり続ける。だが反対に、自分が納得出来ない事はてこでもやらない頑固者である。(・・・と書いてる僕自身にそっくりだ!ははは)
・・・と言う事で、スケートを始めると言っても、長男と次男では同じ方法は通用しない。とにかく本人に興味を持たせ、スケートが好きになってもらわない事には、彼の場合「やりたくないものは、絶対やらない!」・・・はずだ。


まず最初のトライは、当たり前の事だがとにかく小まめにスケートに連れて行き、慣れさせる事。
平日の朝、小さな子供と親だけがのんびり滑れる時間があるので、まずはこの時間から連れて行く。さすがに昼間は仕事で無理だが、夕食後に今度は長男も連れて夜の部に滑りに行く。土曜日は朝からレッスンがあり、昼からはホッケーの観戦。日曜日にはまた三人で滑りに行く。

リンクには初心者用の補助器具が置いてあり、初心者は最初それにつかまって練習を始めるのだが・・・困った事に、彼はそう言った《軟弱な物》は一切使おうとしない。

4歳児としては非常に運動神経の良い彼は、数回行った時点で既に滑るコツを掴んでいるはず(?)なのだが・・・頑固者の彼は、決して自分から滑れるところを見せようとはしない。
練習中、あまりにも足がツルツル滑って立ち上がれないので、コーチの一人が「スケートが悪いんじゃないか?」と僕に聞きに来た事もあるが、エッジは既にピンピンに磨いてもらってあるので、後は本人のやる気だけのはずなのだ・・・


そんなある日の事・・・僕と息子達二人が練習をしていると、リンク整備の為の休憩を知らせるアナウンスが場内に響いた。リンクにいた人達は皆急いで退場するのだが、次男は相変わらずタコのようにリンク中央でフニャフニャを続けている。

「ほらほらっ、早くリンクの外に出なきゃ・・・」
長男はスーッと直ぐに滑って行くが、次男は「出来ないよ〜!ダディー、ヘルプー・・・」を続けている。その時・・・

バタンッ!

・・・リンク後方の大きなドアが開き、黄色いライトを点灯させ「ピーピーピー」とけたたましい音を響かせながら、整備用のトラックが現れた・・・・その瞬間・・・・タコがイルカに変身した(笑)。

今の今まで「立てないよ〜・・・疲れたよ〜」と言っていた次男が、一度も転ばずにリンクの端まで一気にヒューと凄い勢いで滑りきったのだ!

「ニヤッ・・・やっぱり、隠してやがったな」

・・・僕はおもわずそう呟いた。

滑れる事さえ確認出来れば、後は簡単だった。
まずは様々なパターンで設定を考える・・・ある時はウルトラマンと怪獣だったり、地球防衛軍とゴジラだったり、またある時は小さな魚とサメだったり・・・要は彼の大好きな、追いかけたり逃げたり戦ったりという要素をスケートに混ぜてあげれば良いのだ。

両手を大きく広げたり閉じたりしながら「グゥオォ〜・・・ワニが来たぞ〜!」と叫びながら追いかけると、魚役の次男は・・・滑る、滑る・・・面白いほど良く滑る。
ただ困った事に、直ぐ飽きてしまうので、次々に設定や立場を変え、動きや声色を変えながら大袈裟に滑り続けないといけない。他の子供のお母さん達が見てるので少し恥ずかしいが、これも次男の為、そして自分自身の運動不足解消の為と思い滑っていた。

少し上達すると第二段階に入り、仲の良い友達を誘って一緒に滑りに行く。
このタイミングが早過ぎると、友達の前でコケたらかっこ悪いという気持ちが作用して逆効果になってしまうが、少し滑れるようになった時だと、今度は遅れをとらないように、そして良い所を見せようと、自分の実力以上に張り切りだすのだ。

そんな苦労が実ったのか、次男は今回の3ヶ月タームのカリキュラムを、わずか2ヶ月たらずで全てパスし、認定ワッペンをもらって帰って来た。もうフニャフニャのタコ・スケーターの姿はなく、これでお父さんも一安心・・・

そう、安心、あんしん・・・あんし・・・ん?

ギャー・・・ワァー・・・・ウォー・・・

ゲゲッ、この声・・・そうだったもう一人いてた!

そう!三番目の娘は既に一歳半になり、なんでもお兄ちゃん達の真似をして後を追う。ケンカになってもけっして逃げたり、引いたりしない。
「スケートだって任せとき!」という顔をして、平気でリンクに出て行こうとする。

仕方が無いのでベビーカーに乗せ、シートベルトをしっかりした状態で、そのまま氷の上をフルスピードで疾走すると「キャーキャーワーワー」大喜びをする末恐ろしい娘なのだ(笑)。


・・・と言う訳で、彼女は1歳半にして早くもスケート《リンク》デビューを果たしたのでした。
彼女が4歳になったら一体どうなるのか?少し楽しみでもあり、大いに不安でもあり・・・(笑)。


写真の話とは全く関係の無い我が家の私的なスケート話に、長々とお付き合い頂きありがとうございました。このページは我が家の育児日記みたいなものなので、どうかお許し下さい(笑)。
2007年3月29日 うおーっ・・・・ぐわっー・・・あぁーーっ・・・

アイスリンクの中央、物凄い雄叫びをあげ、悔しそうに何度も何度も氷を叩く長男の姿があった。


カナダの冬の国技は、言わずと知れたアイスホッケー!
ホッケーの話を始めると、少々クレイジーにさえ思える程、熱狂する人も少なくない。そんなお国柄とあって、小さい頃からスケートを始め、ホッケー、フィギュアー、スピードスケートなど、大人になっても皆それぞれのレベルでスケートを楽しんでいる方が非常に多い。

競技レベルとまでは行かないにしても、日常の中にもスケートは溢れている・・・幼稚園の遠足がスケートで、小学生が友達と遊びに行くのがスケートで、中学生がデートするのもスケートで・・・

そんな訳で、「カナダに住んでいる以上、レベルは別にして、やはりスケートが出来る方が良い!」・・・と、我が家の息子達も3歳からスケートを始めた。

始めたと言っても、3歳の頃はほとんど氷の上を泳いでいるようなもので、コロコロ転がったり、四つん這いでじたばたしたり、座っていたり寝転んでいたりする息子を押したり、引いたりして氷の上を滑らせる・・・早い話が、氷の上で遊んでいるような状態だった。



親バカな話で申し訳ないが、我が息子達は運動神経が良い(と思う)。

長男は、飛んだり、跳ねたり、走ったりが得意で、「僕が一番だ!」とよく自慢している。実際、学校の運動会で、2歳年上の子供まで混ぜて走っても、ベスト3くらいに入っていたので、同学年だけなら「僕が一番」と言うのもうなずける。

次男が足が速いかどうかは、まだよく分からないが、こちらは・・・とにかく強い!
戦ったり、飛び降りたり、転がったりは誰にも負けない。近所の子供達とけんかをしても、体操教室に入っても、敵無しの状態だ。

そんな、少し《てんぐ》になりかけていた彼らが、4歳になりスケートスクールに通い始めると、状況は一変した。


一番下の初級クラスの、そのまた下の初心者クラスでも、ま〜ったくついていけない。
幼児用の初心者クラスと言っても、さすがカナダ!結構滑れる子供が多い。
だが、長男は滑るどころか、まともに立つ事も出来ず、他の子供達の動きにまったくついていけない。おまけにコーチが少し離れた場所から、英語でしかも早口で叫ぶ指示の意味が、当時の長男にはほとんど理解出来ず、大声で怒られているように感じていたらしい。

コーチの指示を怒鳴っているようにしか理解出来ないのだから、スケートが上手くなるはずもなく。ただ氷の上で、ドタバタ転がりながら、もがき苦しんでいた。
本来なら、スケートと氷を密着させ、片足ずつ静かに押し出してやれば、自然と前へ前へスーッと滑って行くのだが、彼はなぜか氷の上で走ろうとするのだ。

バタバタバタ・・・ズデンッ
バタバタバタ・・・ドシンッ
バタバタバタ・・・ズドンッ

幾らやってもスケートを履いた足で氷の上など走れるはずもなく、ただその場で転倒を繰り返すばかり。
見ていて痛々しくて、「いい加減に《走る》のを諦めて《滑り》出せよ」と思うのだが、彼には彼の「走ったら一番」と言うプライドがあるので、益々足の回転を速めて走ろうとするのだが、当然、益々派手に転倒を繰り返す。


だが・・・「もう嫌だ!」「もう辞めた」・・・とは決して言わない。

ただ「のどが渇いたんだ」とか、「お腹が空いたんだ」とか、いろいろ別の言い訳を作って、すぐにリンクの外に休憩にやって来るので、益々他の子供の動きに遅れる悪循環が続いていく。

どうすれば良いのか分からず、コーチの言葉も理解出来ず、皆の動きにもついて行けず、コーチには怒鳴られ(ているように感じ)、必死にやればやるほど派手にコケ・・・物凄いストレスとプレッシャーとで、ほとんどパニックになっているであろう胸中が、スタンドで見ているこちらにまで痛いほど伝わってきた。

スクールが始まって何回目の事だろうか・・・
「もういいよ、別に4歳でスケートが出来なくても何も問題は無いんだし、無理してスクールに入らなくても、辞めてもいいよ。大きくなってからまた始めればいい・・・」そんな言葉が、もう喉元まで出掛かったある日・・・

・・・ついに長男、宏大が《ぶち切れた!》


ぐぁー・・・・うぉー・・・・

物凄い叫び声をあげ、周りの目も気にせずに、リンクの中央で氷を殴り続ける長男がいた・・・




それから1年、長男宏大は5歳になり幼稚園へ通っていた。

そして幼稚園と一年生の合同校外授業としてアイススケートに行く日がやってきた。
場所は一年前と同じスケート場。
そのアイスリンクの中央で、宏大を見た担任の先生がこう叫んだ・・・

「ワォー、コーダイ・・・ユーアー《スーパースケーター!》」


そう、5歳になった彼は、クラスで一番スケートの上手い子供に変身していた。
泣きながら通ったスケートスクール、そのスクールについていけるようになる為、何度も何度も行ったファミリースケート。彼はクラスメートの間を擦り抜け、すいすい自由に滑っていた。

それから更に1年が経ち、現在6歳になった彼は、早くもジャンプやバック、片足でバランスを取ったりクルクル回転までする上級クラスに入り、《楽しそうに》練習をこなしている。
2年前、悔しさを爆発させ、リンクの氷を殴っていた姿は、もう何処にも無い!

・・・そう、何処にも無い

・・・・どこにも・・・ない?・・・な・・・い・・・えっ?

あれっ?・・・えぇー・・・いてたー・・・殴ってる奴が、いてた〜!

そう、あれから2年、4歳になった次男が今度はスケートを始め、予想通り「ぎゃ〜」と叫びながら壁をガンッガンッガンッ・・・と殴ってます(笑)。


頑固者の次男がはたしてスケートをちゃんと続けるのか?
長男の3倍は手がかかるであろう彼の、気になる続きは・・・次回、乞うご期待!
・・・って、そんな大袈裟な話じゃないんだけどね(笑)
2007年3月26日 見たよ、見たよ、見ましたよ・・・先週末の世界フィギュアー女子シングルス・フリースケート!!

安藤美姫と浅田真央のワン・ツーフィニッシュ!

いや〜久々にテレビの前で熱くなりました。
ショートプログラムでまさかの5位と出遅れた浅田真央が、フリーで魅せた完璧な滑り。女子フィギュアー・フリースケートの世界歴代最高得点をあげ、この時点で首位に。
多分この時点で、本人は「よっし決めた!これで勝った」と思ってたんじゃないでしょうか?最後に逆転された瞬間の呆然とした表情、そしてその後に一瞬だけ見せた悔しそうな表情から、僕にはそんな風に思えました。

また逆に自分の滑走前にライバルが世界最高得点をあげ首位に立ったと何度も何度もアナウンスが流れるのを聞いていた安藤美姫の胸中。「四回転を飛ぶ」と公言していたのに、急遽三回転半に切り替え、確実に勝ちを狙いに行った・・・この辺りの駆け引き。

いや〜面白かったですね。


カナダに住んでいると、当然ながら日本人選手の姿をテレビで見る機会はほとんどありません。
ここで日本人選手を見るためには、カナダでメジャーなスポーツに出場して、そこで素晴らしい成績を残し、活躍してくれないと見れない(テレビに映らない)のです。

そう言う意味でも、やはり先週の世界フィギュアーは海外に住んでいる日本人にとって、とても嬉しくもあり、見応えがありましたね。
日本では瞬間最大50%前後と言う凄い視聴率があったそうですが、我が家でも子供を含めて家族皆で観てました。

ただ、それには少し訳があります。

確かに日本人選手の活躍と言うのが一番の理由なんですが、もう一つ・・・我が家は現在、静かなスケートブームなんです(笑)。

暇な時間を見つけては・・・いやいや暇でなくても、無理に時間を作ってでも、時々息子達と一緒に滑りに行ってます。ですからたとえテレビの中とは言え、スケートを履いたお兄ちゃんやお姉ちゃんがクルクル回ったりジャンプしたりすると、物凄い真剣な目で食い入るように観るのです。
そして段々ムズムズしてくるのか、徐々に手脚が動き出し、立ち上がり、ついには画面に合わせて一緒にクルクル回ってジャンプを始めます。

兄弟三人揃ってテレビの前でクルクル、クルクルするので、はっきり言って邪魔なんですが(笑)、まー見ていて面白いこと面白いこと。

そのうちアイスダンスの真似まで始めて、兄弟で手を取り合い「いいか、俺がお兄ちゃんの役だから、お前はお姉ちゃんの役だぞ」なんて事を言いながら、またクルクル始めます。
ですが、当然直ぐに目が回るので、まるで酔っ払いのようにクルクルドシンッ、クルクルバタンッと大騒ぎです。

そして画面を観ていた長男がこんな事を言いました・・・

「宏大も、こんなの出来るようになりたいな〜」


・・・と言う訳で(かなり強引な話の切り替えですが)、次回から2回に渡り我が息子達のスケートのお話です・・・お楽しみに。
2007年3年21日 「ふ〜っ・・・ちょっともったいないけど、仕方ないな・・・」

僕は一人でそう呟いていた。


こういう仕事を長年続けていると、様々な方面から問い合わせがあったり、いろいろな人と知り合いになる。
それまで何の繋がりも無かった出版社さんから、突然仕事の依頼が来たり、全然知らなかったメーカーさんから写真を大量に買取たいとオファーが来たり、たった1通のメールで、その後の数週間または数ヶ月の予定が突然大きく変わってしまったりする事が度々ある。

先日送られて来たメールも、そう言った「突然!」メールの一つだった・・・

「藤江さんの所で作られている写真集が、社内で大変評判が良く、当社の宣伝広告用に是非使わせてもらえないでしょうか?」

私の所でウエディングの撮影をした場合、デザインやレイアウトをした後にメーカーさんで写真集として仕上げる事が出来るのだが、(詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい)そのメーカーさんからの問い合わせだった。

写真をサンプル等に使わせてもらいたいと言う問い合わせは時々来るので、別にこれだけでは驚きはしないのだが、驚いたのはそのメールの続きに書かれていた使用途だった。

まず、様々なプロモーションでのサンプルブックとしての使用、ショールームでのサンプルとしての使用、イベント会場での展示、ウエブサイトへの掲載、電車の中刷り用の広告、雑誌やチラシ等の紙媒体での広告、更にはテレビ広告等々・・・と正にマルチメディアへのキャンペーン使用を前提としていた。

一般の方にはなかなかお分かり頂けないかも知れないが、これだけの媒体に広告を打つと言うのは莫大なお金が動き、そこに写真が使われると言うのはフリーカメラマンにとってはもの凄い事なのだ。

だが、残念な事に、この話を受ける事はできなかった・・・そりゃ〜当然である。
私の所で製作している写真集は、「ファッション雑誌のような写真集に仕上げたい」・・・そう思って撮影・製作はしているが、写っているのはプロのモデルさんではなく、本当にカナダで挙式をされた一般の方達なのだ。
そこに写っている全ての人達から、これだけの媒体への使用許可をもらうなんて、まず不可能な話である。
良い話ではあったが、これは流れて当然の話だった。

ただ、通常ならば自分の方からサンプルを作り、頭を下げて営業に行って「写真を使って下さい」「撮影させてください」とお願いして回らねばいけないところだが、時々こうして先方からコンタクトして来てくれると言う事は、「今まで自分がやってきた事が、少なからず認められた、間違いではなかったのかな・・・」と、思えた瞬間だった。

まあ、こう言った「うまい話」は、滅多にまとまらないと分かっているので、流れたといっても全くショックも無いが、「こういう問い合わせを沢山してもらえるように、真面目に良い仕事をコツコツしないといけないな」と感じました。
みなさんこれからもよろしくお願いいたします。
2007年3月11日 「え〜ほんと?私、知らないわよ・・・いつから始まるの?」

驚き、そう答えたのは近所に住むカナディアンのジュリーだった。


デーライト・セービング・タイム・・・日本で言えば《夏時間》の事だが、この夏時間が今年は急遽3月の第二日曜から始まる事に変更された・・・そう、今日からなのだ。

アメリカが夏時間の期間を変更する事は、以前から決まっていた。
アメリカと言えば、カナダにとって政治、経済から個人的なつながりまで、もっとも密接な隣国である。その2国間の時間がずれていると言う事は、ビジネスを始めとして様々な面でマイナス要素が大きい。そんな事は、素人が考えても直ぐに分かる。

その為、「カナダも数年以内にはアメリカと同じ時期に夏時間を変更する方が得策だ!」・・・と(昨年の夏頃?)新聞に掲載されていた・・・そう、《数年後》のはずだった。それがどういう事情か、急遽アメリカに追随し、今年から夏時間の変更が決まったのだ。

ほんの数日前の新聞では、カナダの半数の人は、今もこの変更を知らないという。当然カレンダーに記載してある夏時間変更日も例年通り4月の第一日曜のままだ。出荷時に夏時間のプログラミングがされているビデオデッキやパソコンなどは、そんな変更を知るはずもなく、3月11日現在も通常時間で作動している。

毎朝聞いているラジオのニュースでは、先週末になってから何度も何度も「夏時間への変更は、この日曜日です!皆さん月曜日に遅刻しないように!」と叫んでいた。

何をするにも時間がかかって、のんびりスローなカナダが、珍しく早めに動くとこういう事になる。

さてさて明日、月曜の朝になって夏時間変更を理由に遅刻する人が続出するのか?それとも何事もなく平和な月曜の朝を迎えるのか?知ってるのに知らない振りをして遅刻する確信犯が出てくるか?・・・明日の朝が楽しみだ(笑)。

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・・・と言う事で、
本日よりカナダ&アメリカは夏時間。西部の太平洋標準時間は、日本からマイナス16時間となります。みなさん、お間違えのないように!!
2007年3月6日 「こんなの恥ずかしいから嫌だよ〜・・」

鏡を覗き込んでいた長男が、今にも泣き出しそうな声でそう言った。


長男は現在小学1年生の6歳。
(・・・とは言っても日本なら、まだ幼稚園の大きい組ですが)

この時期の子供達は、皆ちょうど乳歯から永久歯に生え変わる時期に当たり、ニコッと笑うと・・・お世辞にもカッコ良いとは言えない《歯抜け笑顔》が返って来る。
特に我が家の長男の場合、歯の抜け方が特別だった・・・


一番目立つ上中央の前歯二本の間に、実はもう一本余分な歯が生えて来ていた。前歯二本のわずかな隙間を利用し、一年ほど前から、少しずつ少しずつ伸びて来たそれは、まるで牙のように鋭利に尖っていて、前歯とはとても思えない不思議な形をしていた。
以前から気にはなっていたが、勝手に引っこ抜く訳にもいかず、歯医者さんからは「上の前歯が抜けた時に抜きましょう」と言われ、その時が来るのを今か今かとずっと待っていた。

数週間前、まず下の右側の歯が一本抜けた。その後も・・・

「この歯もぐらぐらしてきたよ・・・あっ、こっちの歯もぐらぐらしてきたよ」

・・・と、ここ数週間、毎日歯を触りながら長男はそう言っていた。
そして先週火曜、今度は下の左側の前歯が抜け、続いて金曜の夜、待っていた上中央の前歯がついに抜けた。この時点で抜けている歯は既に三本。

上の前歯が抜けた翌日、歯医者に向かっていると・・・突然、車の中で長男が叫んだ!

「あっ、血が出てきた・・・」

見ると、別のぐらぐらしていた下の前歯も抜けてしまった。これで四本目だ。

更に、歯科医院に入って1時間半後・・・出て来た長男の口からは、尖った前歯が綺麗に抜かれていた。とうとうこれで五本目だ。


鏡を覗き込み、長男が寂しそうに言った・・・
「かっこ悪いな〜・・・なんだか舌が牢屋に捕まってるみたいだよ」
見ると確かに、隙間だらけになった歯の後ろから見える舌は、牢屋の中でうろうろしてる囚人のようにも見えた(我が子ながら、うまい事言うもんだと感心した)。

「恥ずかしいから嫌だ!」
「大丈夫だよ、コーナー君もサラちゃんも、みんな歯が抜けてるから一緒だよ」
「う〜ん・・・でも、かっこ悪いな〜・・・」
「コーナー君みたいに一本ずつ抜けてたら、いつまで経っても歯抜けだけど、宏大みたいに一度に沢山抜けたら、また直ぐ元通りの綺麗な歯になるぞ。その方が良いじゃないかよ」

落ち込んでいる長男を見て、いろいろ声をかけてみるが、なかなか元気が出てこない。
「このまま学校行ったら、笑われちゃうよ・・・」
「いいか、大人の歯になるのは恥ずかしい事なんかじゃないんだから、だれも笑ったりしないよ」
「でも・・・・」

いつも元気な長男が、どうも今日は歯切れが悪い。きっと何かある・・・
「でも・・・どうした?」僕が聞くと
「今日、歯の抜けたボビーの顔を見て、みんなで大笑いしてたんだよ」

はは〜ん、これでわかった!
ボビーはクラスで一番体の大きなボスのような存在の男の子。なんとま〜グラグラの前歯を全部自分で引っこ抜いて、今はほとんど前歯が無いそうだ。
その子の前歯を笑った次の日、今度は自分の前歯が無くなったので、自分もボビーのように笑われると思い、気にしていたようだ。
「大丈夫だ、朝学校に行ったら、自分からみんなに『イ〜』って歯を見せてやれ」



月曜の朝が来た。
クラスの前に皆が並んでいる・・・がボビーはまだいない。
長男はうつむき加減でおとなしくしている。

「ハ〜イ、コーダイ!」

ボビーがやって来た。
二人は顔を見合わせ、一瞬の沈黙の後、お互いの口元を指差し・・・・二人同時に大笑いした。「キャハハハハハ・・・・」

一番体の大きいボビーと、一番声の大きい我が息子の笑い声に釣られて、周りの子供達もみな集まって来た。
「あーコウダイも歯が抜けてるぞー」
「えー見せて見せて・・・」
「うわー凄いなー」
「どれどれ見せて」
後はもう皆がお互いの口を覗き込んで大笑い。もうほとんど子犬がじゃれてはしゃいでいるように、あっちもこっちも大騒ぎが続いていた。

長男は6歳。背も高くなり、歯も抜け、確実に外見は成長を続けている。・・・と、同時に、鏡を覗き込み一人ぶつぶつ呟いてみたり、自分の歯が抜けた事を「かっこ悪い」と、お洒落を気にしだしたり・・・中身の方も確実に成長しているようである。

いつの間にか少年の顔に変わって来た長男の顔を見ていて、面白くもあり、嬉しくもあり、少し複雑な気分の「歯抜け騒動」であった。
2007年2月28日 今年は春の訪れが早い・・・・と言われていました。

2月も10日を過ぎた頃から、暖かい穏やかな日が増え、クロッカスの花も咲き始め、暖かな風と共に・・・僕の花粉症も始まり、確実に春の足音が聞こえていたのです・・・・が、今日は雪!

なんとま〜この1週間で4度目の雪。

真冬のスノーストームや大雪とは違い、カマクラを作る事もそり遊びをする事も出来ないわずか数センチの雪ですが、真っ白になった庭を見ていると、なんだかまた冬に逆戻りした感じです。

昔から春の訪れは三寒四温と言われます。
三日寒い日が続いた後、今度は四日暖かな日が続き、少しずつ少しずつ春がやって来る。

明日から三月。
窓の外をチラチラ舞っている雪も大好きなんですが、やはり春も待ち遠しい今日この頃です。
2007年2月21日 「早く、早く・・・窓の外を見て、前庭のベンチの後ろに隠れてるから!」

慌てた声で電話をかけてきたのは妻だった。

「家の直ぐ前まで帰って来てるんだけど、あっちへこっちへウロウロしてるから、車が入れれないのよ」

僕は電話の子機を耳に当てたまま、そーっと窓の外を見た・・・が、二階からでは良く見えない。電話で様子を聞きながら、静かにそして素早く階段を下りて行った。
玄関横に在る小さな窓の所では、既にラスティー(我が家の猫)が立ち上がり、窓の外に向かって「フーッ、ギャーッ」と威嚇をしている。

そーっと覗いて見た・・・

少し離れた場所に止められた我が家の車。携帯電話を握り締め、運転席からじっとこちらを見つめる妻と、助手席で双眼鏡を構える次男の姿が見える。・・・だが、話題の主人公である《彼》の姿は、玄関からではちょうど死角に入ってまだ見えない。

「あっ、今、奥に隠れた・・・今度は花壇の所で穴を掘ってるみたい・・・」

車の中から、妻の実況中継が続く。

「よっーし行くぞ、宏大(長男)ついて来い!」

そーっとドアを開け、壁の陰に身を隠しながら覗き込む・・・

いた!

まるまる太った《アライグマ》が花壇の花を掘り起こしていた。

「おいっ、宏大・・・見えたか?」
「うんっ、見えた・・・アライグマだ」
僕と同じように息を潜め、じっと見つめる長男。しかし・・・
「あーっ、あーっ・・・・あーっ!」
その横にいた1歳の娘が、アライグマを指差しながら大声で叫んでしまった。

驚いたアライグマは背中の毛を逆立て、しばらくこちらを睨んだ後、裏庭に向かって走り出した・・・・と言っても、これがまた滑稽で面白い。見た事のある人なら分かってもらえると思うが、アライグマの走る姿と言うのは実にひょうきんなのだ。大きな体を左右にユサユサ揺らし、体とは対照的な細い手足をチョコチョコさせながらゆったりと走る。見ていると、なんだか裸足で氷の上を歩いていて「冷たい、冷たい」とドタバタしてるような感じだ(←分からないだろうな〜この表現・笑)

僕と長男と娘は、近道をして家の中を通り、急いで裏庭に在るデッキへと向かった。
妻と次男も車の中から飛び出し、双眼鏡を持って走って来た。

他の動物なら、見つけても直ぐにパッと走り去ってしまうのだが、彼はまだちゃんとそこを《走って》いた。

「あいつかな?」・・・長男が聞いた。
「うん、あいつかも知れないな」・・・僕が答えた。

過去のページから、昨年の6月19日の書き込みを読んで頂ければ分かるが、裏庭で飼っていた金魚とおたまじゃくしが、一夜にして姿を消した事件があった。結局、犯人検挙には至らなかったが、おそらく犯人はアライグマだと話をしていた。
それ以後、裏の森を流れる川べりに、アライグマの足跡を見つける度、僕達は「またアライグマの足跡が増えたね」とか、「アライグマがまた何か探しに来てるね」とか話しをしていたのだが、夜行性のアライグマと子供達が、直接遭遇する事は、今までほとんど無かったのだ・・・

アライグマが森の中へ消えた後も、一歳の娘は目を大きく開いて「あーっーあーっあーっ!」といつまでも興奮状態を続け、動物好きの次男は、早速動物辞典を出してきて、アライグマのページを見ながら「とうさん・・・これだったね・・・さっきこれがいたね・・・ラクーンだね〜」と、とても嬉しそうにページをめくっている。
長男は「どうして穴掘ってたのかな?、やっぱりアライグマが金魚食べたのかな?」と、少し複雑な表情を浮かべている。

大阪で生まれ育った僕にとって、野生動物と言うのは本やテレビの中での生き物で、実在する現実の物として頭に思い浮かべる事は、子供の頃には出来なかった。
そして北米の取材を始めた20年ほど前、初めてアメリカの原野で野生動物に出会った時、僕は体が震えるほど感激した事を今もはっきりと覚えている。

檻や網に入っていない野生動物が、自分の直ぐ目の前を走り過ぎて行く姿を見て、子供達は一体どんな風に感じているんだろう?

彼らが大きくなった時、そんな話をしてみたいな〜・・・と思った。
2007年2月14日 「プロのモデルがカバーガールを目指すように、やっぱりプロとして写真を撮っている以上、カメラマンもカバーフォトグラファーを目指さないとな・・・」


知り合いのカメラマンがそう言っていたのは、もう数年も前も話だ。

カバーフォトグラファーと言うのは、その名の通り「雑誌の表紙を担当するカメラマン」の事。
表紙、巻頭グラビア、特集ページ等は、そのままその雑誌の売り上げを左右する重要なページであり、これらを任されると言う事は、言い換えればそれだけ腕のある信頼されているカメラマンと言う事になる。

だが元々僕は雑誌の仕事をメインにしているわけではなく、「そういうもんなのかな〜」と言うくらいの軽い気持ちでその言葉を聞いていた。

自慢をする訳ではないが、僕は既に雑誌や情報誌(情報紙)、カタログやパンフレットなどの表紙に何度も写真を《使われ》ている。・・・そう、《使われた》のだ。

直接カメラマンを指名して、表紙撮影の依頼を受けた訳ではなく、僕が自分の好きな場所へ行き、自分の好きなように撮ってきた写真が、エージェントを通してデザイナーやディレクターの目にとまり、表紙に採用されたのだ。


一般の人にとってはどちらでも同じように思われるかもしれないが、撮影する立場から言えば、やはりそれは《全くの別物》と言う事が、先日よく分かった・・・

もう数ヶ月も前の話になるが、某雑誌のカナダ特集の撮影を僕が担当する事になった。雑誌の撮影自体は別に珍しい事ではないが、今回は巻頭特集、広告ページ、そして表紙の撮影も含まれている。知り合いのカメラマンの言葉を借りれば「カバーフォトグラファー・デビュー」である。
この歳でデビューもへったくれも無いのだが、やはり全国誌の表紙の撮影となると力が入るのも偽らざる事実だった。


だが、実際やってみるとこれがも〜大変!
カメラマンの目から見れば「もっと別の場所の方が、絶対綺麗になるのに」とか、「もう少しこうした方が良い写真になるのに」とか、いろいろ思うのだが、編集者は写真の良し悪しの前に、まず雑誌が売れる事が一番にあり、時間や予算の制約も絡んでくる。その上に、、それぞれの雑誌が持つ特色やコンセプトが決められていて、更にそこにメインターゲットにしている読者層の好みやスポンサーの意向など様々な思惑が入り乱れてくる。

その上、雑誌の表紙である以上、雑誌のタイトルや見出しなどの文字が多数写真上に被って来るので、画面の中でどの辺りにモデルを立たせ、どの程度の大きさで配置するか等、こんどはデザイナーの意見がまたいろいろ入ってくる。

もうひとつおまけに雑誌のメインスポンサーの商品をさりげなく写真の中に配置したり、モデルに持たせたり・・・

雑誌や広告の撮影はチームワークだと言う事は、よ〜く分かってはいるが、もうこうなってくると実際には誰が撮影した写真なのか?よく分からないような気もしてくる・・・

編集さんやデザイナーさんが言った言葉を直ぐに理解し、それをよりよい物として形にする。
的確な判断を下し、一瞬の瞬発力が結果を左右する、そんな失敗の許されない状況での撮影・・・そういう場面を任せられる《信頼》と言う言葉が、《カバーフォトグラファー》の持つ意味なんだろうなと感じた撮影だった。

まっ、でも僕には向いてないので・・・これからも自由気ままに自分のスタイルで撮影させて頂きます。悪しからず・・・(笑)
2007年2月5日 スランプです・・・(笑)


なかなかこのページに文章を書き込む気になれません。
目の前に山積みになっている用事を、ただ片付けて行くという作業に忙殺されてしまって、なかなかゆくっりとこのページに文章を書く気力体力が残っていません。

1月1日の書き込みでも書いたように、春からの新事業立ち上げに向け、只今その下準備に追われております。

我が家のオフィススペースには、長年撮り貯めて来た写真のポジフィルムが山の様にストックされているのですが、既に綺麗に整理され、直ぐに見れる状態でファイルされている物だけでも、およそ4万点も在ります。
例えば、空とか道とか動物とか・・・様々なカテゴリーに分類し、20枚ずつファイルをしてそれぞれの棚に管理されています。
この既にファイルされているポジをチェックするだけでも、実際に始めてみるとかなりの作業ですが、問題はこれ以外の写真です。

業界で「Bポジ」と呼ばれるような、1次チェックの時点で除けた写真は、ファイルもせずにケースに入れて山積みになっています。この状態の写真が更に約4〜5万点も在るのです。

出版社や広告関連から戻って来て、そのまま未整理状態の物や、デジタルで撮影した物などまで合わせると、一体どれくらいの写真が手元にストックされているのか?・・・これをもう一度全てチェックしなおすとなると、気が遠くなってしまいます。

「Bポジ」と言うのはAランクではなく、Bランクのポジ(写真)と言う意味で使われるのだと思います・・・ですから、僕はこの「Bポジ」と言う言い方が、好きではありません。人が苦労して撮影して来た写真をAだBだと言われたら、気分の良いはずがありません。

しかし時代は変わりました・・・・
デジタル全盛の今、一昔前なら完全にアウトのBポジ写真でも、もう一度蘇らせ、陽の目を見せてあげる事が可能なのです!!
もちろん、なんでもかんでもOKと言う訳ではありませんが、少しの事でBに回っていた物、例えば撮影時点でどうしても除け切れなかった障害物が画面の隅に写り込んでいたような場合、今ならそれを消したり、書き込んだりする事が出来ます。夕日の色がもう少しだけ鮮やかだったら使えたのになんて言う場合も、色調を変えたり彩度を調整する事も出来るのです。

プロのカメラマンと言っても、自分の撮影した写真には思い入れもありますし可愛いのです。出来れば陽の当たる場所にだしてあげたいですし、世間に羽ばたかせてあげたい、注目される場所に送り出してあげたいと思っています。

「これは持ってても使えないな」・・・そう思って既に処分してしまった写真も大量にありますが、少しでもBからAランクへ格上げ出来る物があれば、「なんとかもう一度生き返らせてあげたい!」と思いながら作業を続けています。

前から思ってたのですが、こういう写真のチェックをしてる時って、カメラマンっていうより、子供の心配をしてる親のような気分ですね(笑)。
2007年1月11日 前回の書き込みが1月1日、そして今回が1月11日。

いや〜11、111、1並びで、なんだか縁起が良いですね〜

・・・と、それを理由に書き込みをサボっていたわけではないのですが(笑)。

今年は、子供達の学校の冬休みが終わるのが遅かったので、なんだかドタバタと走り回っておりました。
そしてようやく今週月曜からまた学校が始まったと思ったのに・・・昨日は大雪で臨時休校。今日もまだ次男の幼稚園はお休みです。

長男の通う小学校はなんとか再開されましたが、今朝の体感気温はマイナス15度。道はバリバリに凍り付いて、もうほとんどスケートリンクのようです。冬山の撮影用に使う防寒ブーツを履いていても、ツルツル滑ってなかなか上手く歩けません。
ようやく学校まで辿り着いても、生徒は通常の3分の1程です。親が車で送り迎えしてる生徒は、なかなか家から出れないのでしょう。こんな状態で無理して学校を再開しなくても、もう一日休校にしておけば良さそうなものですが、前回の大雪の時に長男の学校は7連休、次男の幼稚園は11連休もしたので、そうそう休んではいられない学校側の事情があるのでしょう。

しかしさすがカナダ、この状況を逆手に取って、ちゃっかりとお小遣い稼ぎをする子供達もいます。小学校の高学年か中学生くらいだと思うのですが・・・

「雪かき、雪降ろし、その他何かお手伝いありますか?」

・・・と言って、大きな雪かきシャベルを片手に1件ずつ回って来るのです。
我が家は自分達で出来ますが、一人暮らしのお年寄りなど、誰かに代わりに雪かきして欲しいと思ってる人にとっては大助かりだと思います。

無条件で小さい子供に沢山の物を買い与えたり、お小遣いを沢山あげたりするのに僕は反対なので、子供達がもう少し大きくなったら、うちも雪かきに行かせよっと。
2007年1月1日 2007年

あけましておめでとうございます。

いや〜〜速かったです。
年々、一年の過ぎるのが速く感じると言いますが・・・2006年はほんとに速かったですね。

昨年もまた様々な新しい出会いがあり、新しい仕事もさせて頂き、新しいプロジェクトも立ち上げ・・・上がったり、下がったり、激しい波もありましたが、刺激的な一年を過ごす事ができました。
これもひとえに当サイトを御覧頂いている皆様のおかげです。心よりお礼申し上げます。


昨年6月で、カナダに移住して丸10年が過ぎ、初めの頃には見えなかった物も沢山見えるようになり、また新たにやりたい事も沢山出て来ました。

北米取材を始めてから20年。

怖い物知らずで、ただがむしゃらにシャッターを切りながら旅をした20代。
カナダに移住し、どっしりと腰を据えて自然と向き合った30代前半。
そして父となり、試行錯誤を繰り返しながらウエブサイトを製作・運営し、仕事の基盤を完全にカナダに移した30代後半。

とにかく多くの現場で何でも良いから撮影を見てみたかった20代の時とは明らかに違い、40代になった今、「数は少なくても良いから、じっくりと時間をかけて良い仕事をしたい」と本当に強く思うようになりました。


また、撮影部門とは別に新たな会社を立上げ、長年撮り貯めた写真を世界に向けて販売出来るように、現在準備を進めております。(4月末営業開始予定?)

2007年・・・
これまで以上に丁寧に良い仕事をする事、そして手元で眠っている撮影済みの写真を生き返らせ、世界に向けて送り出してやる事・・・これが本年のPhotoOfficeFujie藤江幸宏写真事務所の一年を通しての目標(と言うか課題)です。


どうか本年もPhotoOfficeFujie藤江幸宏写真事務所を宜しくお願い致します。

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その他、新規のお問い合わせ、企画の持込、写真の持ち込み、カメラマン&ビデオカメラマンの売り込みもお待ちしておりますので、どしどしご連絡下さい。