親子熊の鮭獲り練習


カナダ西部〜アラスカに渡る広い範囲に、鮭の溯上シーズンがやって来た。
厳しい自然の中で生きて行く熊達にとって、鮭は貴重な食料となる・・・
・・・だが、その捕獲はなかなか簡単な事ではないらしい。



「教育ママとやんちゃ坊主」

…と言ってもこれは人間のことではない。

 アメリカ・アラスカ州とカナダ・ブリティッシュコロンビア州の国境近くを流れる小さな川で、
僕が出会った親子熊が、まさにそんな感じだったのだ。

 
 遅い新緑に包まれた静かな川原で、のんびり撮影をしていた僕の耳に、
突然けたたましい水のはじける音が飛び込んで来た。
 
振り向くとグリズリーベア―が一頭、その大きな体をユサユサ揺らし、
水しぶきを上げながら、川の中を勢い良くこちらに向かって走って来る。
…いや、
よく見るとその後を必死になって追いかけるかわいい小熊の姿も見え隠れする。

僕は急いでカメラに望遠レンズをセットして、彼らの姿を追う事にした。



まだ若そうな母熊と、おそらく生後5〜6ヶ月位の小熊。

どうやら彼女達は鮭を捕りに川原に下りて来たようだ。
 
夏から秋にかけて、
アメリカ本土北西部からアラスカに渡る広い範囲には大量の鮭が溯上し、
そこに住む熊達にとって、これから冬眠するまでの間、貴重な栄養元となる。

…だが、鮭の方も
「ここまで来て食われてたまるものか」
・・・と、なかなか簡単には捕まってはくれないのだ。

 以前、テレビで熊の特集番組を見た事があるが、
それによると熊の鮭漁の方法には特に決まった方法が有る訳ではなく、
一気に頭から川に飛び込む者、岩の上でじっと鮭が飛び跳ねるのを待つ者、
自分では捕らずに他の熊が捕った鮭を横取りする者など、まさに様々だった。
  
そして漁の得意な者と、そうでない者がはっきり分かれるというような事を言っていたが…

どうやらこの若い母熊は後者のようだった。



 流れの弱い溜まり場に飛び込んだり、岩陰に手を入れたり、
あの手この手と必死になって鮭捕りをしているのだが、なかなかこれが上手くはいかない。

そればかりか、鮭のスピードに全く追いつかない小熊が、
後からバシャバシャと水しぶきを上げて母熊を追いかけるので、
尚更苦戦を強いられているようだ。
 
おそらく母熊一頭で鮭漁をした方が何倍も効率は良いのだろうが、
この母熊は、何度も何度も熱心に鮭の捕まえ方を小熊に見せて、覚えこませているように見えた。
 
「いい、こうやって…ほら、ちゃんと見てるのよ」

 ・・・なんて言う声が聞こえて来そうだが、
はたして分かっているのやら、いないのやら…

相変らず小熊の方は、ただ元気にバシャバシャやっているだけだ。
 
数分後、ようやく母熊は大きな鮭を一匹捕まえた。
遠目から見ても、かなりの大物だ。





 母熊は、まだバタバタと暴れるその鮭をガブリとくわえ、
前足を上手に使って二つに引き裂き、尻尾側の半分を小熊に与えた。
 
走り回って腹が減っていたのか、小熊はその鮭を夢中で食べ始めたのだが、
ここからがまた大変だった。



普通、熊が鮭漁をした時は、獲物をくわえて陸に上がり、
そこでゆっくりと食べる事が多いのだが、
それは同時に小熊にとって危険な行為でもあるのだ。

母熊が近くにいるとは言え、食事に夢中になっている小熊は狙われる事があるし、
他の熊が鮭を横取りする事も考えられる。

…それとも単にこの親子熊は腹が減り過ぎていたのか…

とにかく二匹は、そのまま川の中で今捕った鮭を食べ始めてしまった。

…だが、これが小熊にはなかなか一苦労なのだ。

鮭を押さえ付けて齧ろうとしても、水の中ではなかなか上手くはいかず、
力任せに引き千切ると鮭の身がボロボロと裂けて流れて行ってしまうのだ。
頭を上げたり下げたり、体の向きを変えてみたり、
いろいろ試してはいるが、どう見ても食べてるよりも流れてる方が多いのだ。    
 

もうとっくに食べ終わった母熊は、しばらくの間、
じっと小熊の側でその行為を見つめていたが、
あまりののんびりペースに少々苛立って来たのか、
少し落ち着かない態度で、キョロキョロと辺りの様子を覗い始めた。

・・・そして、ふっとカメラから目を離した僕と、こちらを見た母熊の目が、
思わず合ってしまった。

「やばいっ…」

 僕が撮影しているのは川岸の土手の上。
約2メートルほどの高さはあるものの、もし本気で母熊が掛け上がって来れば
一瞬の内に捕まってしまう距離だ。

母熊はこちらに向かって二歩…三歩と歩き出した。 

通常、熊が人に襲い掛かる事はほとんど無いが、

子連れの母熊は要注意だ。
 
僕はベストのポケットからそ―っとベア―スプレー(熊撃退用の唐辛子スプレー)を取り出し、
しっかりとそれを右手で握り締めた。
 
母熊は川岸まで来ると、グッと僕の方を睨みつけ、
ブルブルッと大きく顔を左右に振って威嚇(?)をした。





まるで
「うちの子は今、鮭捕りの勉強中なんだからじゃましないでちょうだい…ふんっ」
・・・てな感じで、またノッソノッソと小熊の方へと戻って行った。

 小熊は川の中にちょこんと座り込み、
もうほとんど身の無くなった鮭の皮を大事そうにくわえたり、引っ張ったりしながら、
まだまだ悪戦苦闘を繰り返していた。


 「ほらほら、いつまでもそんな皮だけの鮭で遊んでないで、あっちに行ってもう一度練習するわよ…」

そんな事でも言ってるのだろうか、
母熊はもう一度僕の方をチラッと見ると、鼻先で小熊の背中をツンツンと二度ほど押してから、
今度はゆっくりとした足取りで下流へと向かって歩き出した。

 小熊は諦めきれないのか、しばらく鮭の皮をくわえていたが、
母熊の足取りが速くなると、大事な鮭のおもちゃ(?)を川の中に落してしまった。

何度も振りかえり、落とした辺りを残念そうに眺めているが、
ついに彼らは木々の向うへと消えて行った。





 彼らの姿が完全に木々の向うに消え、
しばらくしても彼らが戻って来る気配が無い事を確認して、僕は機材を片付け始めた…

・・・その時だった…

かなり離れた木の葉の間に小さな黒い塊が動いた。

 僕は慌ててもう一度三脚をセットし直し、今度は超望遠レンズを付けてファインダーを覗き込んだ。

 「さっきの小熊だ!…」




 川の中央の浅瀬になった部分で、
小熊はしっかりと二本足で立ちあがり、
勢い良く前足から飛び込んで、鮭捕りの練習を再開していた。


 ついさっきまで走り回っていただけの小熊が、なんだか急にたくましくなったようで、
僕は嬉しくなって夢中でシャッターを切り始めた。

…が

 「またあんたかい、気が散って練習出来ないだろ、さっさとあっちへ行っとくれ…」




 …と、まるで今にもそう叫び出しそうな母熊が、
僕と小熊の間に割り込み、更に下流へと消えて行った。

 教育熱心な母親が恐ろしいのは、どうやら人間も動物も同じようだ……

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