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コヨーテとオジロジカの我慢比べ

マイナス35度の氷上で続けられた、
コヨーテとオジロジカの命をかけた長い睨み合い
その結果は・・・
寒い寒いある冬の朝、
僕がコヨーテとオジロジカの我慢比べを見たのは、もう数年も前のことだ…
その年も残りわずかとなったある日、
カナダ西部からロッキーに至る広い範囲には、プレゼントを持ったサンタクロースの変わりに、
真冬の嵐・スノーストームが舞い降りていた。
数日間吹き荒れたスノーストームは、西部に大雪、そしてロッキー山脈周辺には異常低温という、
あまり有り難くないクリスマスプレゼントを残して去って行った……
ストームが過ぎ、天気予報は久々の晴天を告げていた。
僕は青空になる事を祈りつつ、
カナディアンロッキーに流れるボウリバー沿いで朝日が昇るのをじっと待つ事にした。
気温はマイナス35度
体感気温は更に10度も低いマイナス45度の予想だった。
直ぐ側を流れるボウリバーは、数十メートルの川幅を持つ大きな川だが、
この時期、凍り付かずに流れているのは、もうわずか数メートルだけになっていた。
気温と水温の差から、辺りにはまるで温泉のような水蒸気がもうもうと立ち昇っている。
新雪と水蒸気に包まれ、なんとも言え無い神秘的な白一色の世界に入り込んだ僕の目に…
んっ?…
突然何か黒い影が動くのが見えた。
かなり離れているうえに、この煙ではなかなか正体が分からない。
僕は望遠レンズをセットし、煙が風で流されるのじっと待った。
「コヨーテだ!」
煙の向うから、フサフさとした冬毛に被われた一頭のコヨーテの姿がゆっくりと現れた。


食料など有るはずの無いストーム後の凍り付いた川の上を、
彼は行ったり来たりしながら、丹念に何かを探しているようだった。
しばらくすると、遅い朝日がようやく谷間に差し込み、辺りの様子が少しづつはっきり見えるようになって来た。
どうやら彼は、夜の間に付けられた幾つもの動物の足跡を、
一つづつ調べ、ゆっくり、そして確実にその跡を辿って歩いているようだった。

どれくらいの時間が過ぎただろうか・・・
日の出前から彼の姿を追いかけていたカメラの背面には、僕が吐く息が既にびっしりと凍り付き、
黒いはずのボディが真っ白に変わっていた。
僕は、まだコヨーテの動きに変化が無い事を確かめ、急いでカメラの霜取り作業を始めた…
そのほんの一瞬だった。
まるで僕がカメラから目を離すのを待っていたかのように
彼は奥の森目掛けていきなり走り出したのだ。
何があったのか、なぜ急に走り出したのか、目を離していた僕には理由など分かるはずも無く、
主役のいなくなった舞台を見ているように、足跡の残る川原を眺めていた
緊張が途切れると、急に寒さがこたえ始め、どうする事も出来ない苛立つ時間だけが過ぎて行った。
朝日が顔を出したとは言え、この気温の中、これ以上ただじっと待っているのは
かなり辛い作業だった。
「5分だけ…あと5分だけ待ってコヨーテが戻らなければ移動しよう」
そう決めた僕は再びカメラの霜取り作業を開始した。
分厚い氷の下を流れる川が、時折ゴボゴボゴボと不気味な音を響かせ、
木々の間をすり抜けて行く風の音と混ざり合って何とも不思議なBGMを奏でてくれる。
僕はもうすっかりコヨーテが戻る事は諦め、その音に耳を傾けていた。
「ガウゥー…ヒッー…」
突然不気味な叫び声がBGMに割って入り、凄い勢いで森の中から雄のオジロジカが飛び出して来た。
そして、その直ぐ後からコヨーテが飛び掛って行った。

オオカミと違い通常単独で狩をするコヨーテは、ウサギやネズミなどの小動物を狙う事が多い。
自分より二回り程も大きな鹿に、しかも角の有る雄の鹿に、
一頭で襲いかかることは非常に稀な事だ。
僕が慌ててファインダーを覗き込んだ時、もう鹿は氷の端ギリギリに追い詰められていた。
左腹部、右前脚、頭部から血が流れているのが遠目にもはっきりと見える。
このままやられてしまうのか…
そう思った次の瞬間
信じられない事に、鹿は自分から川に飛び込んでいた。

後から襲い掛かろうとしていたコヨーテの足がピタッと止まり、悔しそうに鹿の顔をグッと睨んでいる。
後を追って飛び込むか、どうするか、考えているようにも見えたが、
結局そのままコヨーテの足が氷の上から離れる事は無かった。
自分から川に飛び込んだ鹿の動きは、見る見るうちに遅くなっていき、
対岸まで辿り着いた所で全く動かなくなってしまった。
マイナス35度の酷寒の中、あれだけキズを負った体で川に飛び込むとどうなるか…
僕には・・・正直分からなかった。
諦めきれないのか、大物を取り逃がした悔しさなのか、
コヨーテは対岸の氷の上を行ったり来たり、いつまでも忙しなく歩いている。
そのうちに鹿が力尽き、自分の側へ流れて来る事を待っているのだろか。
鹿はまだ川に入ったまま全く動く気配を見せない。
濡れた頭部の毛は早くも凍り始め、このまま長引く事は、
凍死を意味していた。
氷の下からまたボコボコボコと言う不気味な音が響き始め、不思議な時間が過ぎて行った。
どれくらいの時間が経ったのだろう、コヨーテはついに諦めたのか
僕とは逆の方向に向かい、トボトボと歩き始めた。
すると、それまで置物のように固まっていた鹿が、まるで呪文が解けたように急に動き出した。
「良かった、まだ動けるんだ」
しかし、凍り付いた川からの脱出は、簡単ではなかった
。
前足を氷に掛け、必死になってよじ登ろうとするのだが、
薄い氷の端の部分は体重を乗せると直ぐに割れてしまう。
そのうえ濡れたひづめの足では、滑って氷の上に這い上がれないのだ。
一旦行きかけたコヨーテはそれを見ると、クルッと向きを変え、
川原の安全な場所に腰を下ろして、その姿をじっと観察し始めた。

やっとの思いで氷の上に這い上がった鹿の足は、コヨーテに噛まれた右前足が曲がり、
他の足も長時間水の中にいたためかほとんど動いていなかった。
今度はコヨーテが凍り付いたように動かなくなっていた。
鹿のとる次の行動を、ただじっと安全な場所から眺めているのだ。
鹿が辿り着いたのは岸ではなく、凍り付いている反対側の氷の上、
その先は深雪の急斜面だという事を知っているのだろう。
とてもあの足の状態では登れるはずは無い…
・・・かと言って、住み慣れた対岸の森に戻るためには、もう一度川を渡り、
コヨーテの待つ雪原を越えて行かねばならないのだ。
僕にはどうする事も出来ず、ただレンズを通して事の成り行きを見守っていた。
両者は互いにその場から全く動かず、相手の様子を睨みつけたまま、
酷寒の中での長い長い我慢比べが始まった。

風向きが変わったのか、もうBGMはほとんど聞こえて来ない。
少し気味悪いくらいの静かな時間が流れて行った。
濡れた鹿の体はどんどん凍り付き、フサフサしたコヨーテの毛皮とは対照的だった。
…だが
どう見てもコヨーテが有利に見えたこの我慢比べ、
結果はオジロジカが勝利を収めたのだ。
彼は全身の毛が凍り始めても微動だにせず、
コヨーテが立ち去るまで、じっとその場に立ち尽くしていた。
そしてコヨーテの姿が完全に消えたのを確認してから、
静かに近くの雪の中に倒れ込むように座り込み、
そのまま二度と動く事は無かった。
最後までコヨーテを睨みつけていた勇敢なオジロジカが、
このまま最後を迎えたのか、
それとも元気に再び森に戻れたのか、
僕は知らない。
ただ、ストームが去った寒い冬の朝、
改めて野生動物のたくましさ、生きる事への執着心の強さ、
そしてそれを中立の立場で記録する事の難しさを感じさせられた。
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