アライグマ物語
最終章 いざ森へ!


 「だめだ、さっぱり分からない…」


 アライグマを森の奥深くに放し、車に戻ろうとしたのだが、
その道が全く分からない。


ゴツゴツした岩と、苔生したジャングルのような木々が360度広がり、
どこを見ても同じ景色に見えて来て、進むべき方向さえもはっきりとしない。


 アライグマリリースのボランティア、クリスティとその母親ペニー、
そして僕と妻の四人は途方に暮れ、ただ黙って薄暗い森の中に立ち尽くしていた。
 

 通常、このような深い森に入る時は、
方位磁石、太陽の位置、目印になるような大きな木や岩など、
回りの景色をよく観察しておくのが常識なのだが、
今日はリリースチームに付いて行く事だけを考え、それ以外の事は一切頭に入っていなかった。


 「こっちじゃないかな…」

 僕がそう言うのと同時に、ペニーも同じ事を叫んでいた。
だが・・・
二人が指差した先は、全く逆の方向を向いていた。
 
 「ふぅー…」と言うクリスティの大きなため息が、静かな森の中に響いた。






  カサカサ…タッタッタッタッ…


 どこからともなく足音が響いて来たかと思うと、
突然背後の茂みが割れて、黒い影が飛び出して来た。

 「あっ…アライグマだ」
 妻が小さく叫んだ。

 森の奥深くに放したはずのアライグマ達が、
いつの間にか我々の後を追いかけて、ついて来ていたのだ。

 クリスティが慌てて腰を下ろすと、アライグマ達は一斉に彼女に飛び掛って行った。

嬉しそうに背中に登る者、膝の上で遊ぶ者、初めての森の中で不安を感じていたのか、
探し続けた親子の対面のように、いつまでもみんな必死で甘えている。


 

 どれくらいの時間が過ぎただろう・・・
ウロウロ、ウロウロ辺りを回り続けるアライグマ達を、クリスティが順に抱きしめてやると、
安心したのか、彼等は再び歩き始めた。

しかし

 それは彼らが飛び出して来たのとは全く逆の方向だった。

はっ・・・

と、我々は顔を見合わせた。

そして、無言のままに、彼らの後に続いて歩き出していた。

見覚えが有るような、無いような・・・どこまで行っても同じ様な森の景色が続く。
不安は有るが、頼りにならない人間の感より、
素晴らしい嗅覚を持っている彼らの《 野生 》の部分に掛けた方が何倍も確率は高いだろう。


 岩を登り、茂みをかき分け、森の中をしばらく進むと・・・
なんと前方からリリースチームのリーダーであるレイさんが戻って来る姿が見えた。

 「たっ、助かったー…」

 僕は心の中で呟いていた。

 
 レイさんは、大きなダンボール箱一杯の食料を、重そうに抱えていた。

 森に返したアライグマにとって、これから一番の問題になるのは、
その環境に馴染めるか・・・
即ちその場所で食料を見つけて生きていけるかと言うことなのだ。


だが、一年間
施設で保護されていたアライグマ達が、
この厳しい自然環境の中、自分達の力だけで生きていけるようになるには、
まだまだ数週間の時間が必要らしい。


 その為、ボランティアの人々は、この後も一週間に一度、
四〜五週間はあのデコボコ道を通って食料を運び続けるのだそうだ。


 先程まで辺りを歩き回っていたアライグマ達はいつの間にか、
また森の奥に入ってしまっていた。 
 

ボランティアの人達はアライグマの好みそうな場所を良く知っていて、
その間に、巣穴になりそうな場所、遊び場になりそうな場所など、
彼らの活動コースに次々と食料を置いていった。
 

彼らはあまり目は良く無いらしいが、嗅覚と手先の器用さは、
北米に生きる動物の中でもトップクラスだそうだ。
 

  



「彼らは必ずここに戻って来る」
僕は、食料が置かれた数カ所の中から一ヶ所を選び、カメラをセットして待つ事にした。
大きな倒木と岩の陰になり、安心してアライグマが食事を出来そうな場所だ。


 時折木々の間から照り付けていた太陽は、いつのまにか雲の向うに隠れてしまい、
薄暗い森の中は益々暗くなっていた。

少し風が強まり、森全体がまるで生き物のように、ユサユサとざわめき始める。
こうなると動物の近づく足音は、直ぐ近くに来るまで全く聞こえない。
アライグマのように鼻の効かない僕にとって、これは大きな不安でもあった。

グァーガァーガァー

森の中に響くステラードジェイの声が、悪魔のように聞こえる。
只待つだけの時間は、いつもとてつもなく長く感じられ、
頭の中だけでの発想は、どんどん不安を増幅させて行く。


 カサカサ…カサカサ

…と、不意にすぐ近くの茂みの中から、何かの動く音が響いて来た。

 見通しのあまり良くない森の中で、相手の姿が見える前に、
音だけが近づいて来るのは、何度味わっても嫌な物だ。
 
アライグマなら良いが・・・
コヨーテやクーガ―、それに冬眠から覚めたばかりの熊かも知れない。

そう思うとカメラを持つ手に自然と力が入り、知らない間に僕は身構えていた。

 風がまた強くなった。

頭上の枝が弓のようにしなり、目の前の茂みが大きく揺れた。
風が止み、森が落ち着きを取り戻した時、
そこからピョッコリと顔を出したのは・・・

アライグマだった。


 「フゥ〜〜…」
僕は大きく肩で息をついてから、ゆっくりとシャッターを切り始めた。





 ファインダーの中に映る彼らの姿は、
ほんの少しの間に、なんだか随分たくましくなっているような気がした。

おどおどしてなかなかケージから出ようとしなかった彼らと、
今、森の中で活き活きと行動する彼らは、明らかに違って見えた。
 

 現在日本では、北米からペットとして輸入されたアライグマが野生化し、
生態系に深刻な被害を与えていると言う。

見た目の愛らしさとは裏腹に、大人のアライグマは気がきつく、鋭い爪と歯を持ち、
好奇心旺盛な上に手先が器用な彼らは、
とても狭い柵の中でおとなしくしていられるような動物では無い。

一方的に金儲けの為に日本に連れて来られ、飽きれば直ぐに捨ててしまう。

元々日本にはほとんど天敵のいない彼らを野に放てばどうなるか、

最初から答えは明らかなはずなのに・・・

増えると殺す!


アライグマだけの事ではない、
この短絡的なパターンをもう何度も繰り返して来ているのだ。

 そろそろ共存・共生と言う言葉を、
動物を飼うと言う事の責任と難しさを、
もう少し真剣に考えてみる時期にさしかかっているのではないだろうか。



彼らがこの厳しい環境の中、無事に行き抜いていってくれる事を願いつつ
 僕は、森の奥に消えて行く彼らの姿を、フィルムに収め続けていた…






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