アライグマ物語
第四章 トレーニング





からっとした爽やかな風が吹き抜け、強い日差しが照りつける。

カナダ南西部に短い夏の季節が訪れる頃、彼らのトレーニングが本格的に開始された。


 親を失い、自分達の力だけでは自然界で生きて行けず、
ここクリティ・ケアの施設に彼らが運び込まれて来たのは春の事だった。

まだ目も閉じたままで、手の平にすっぽりと入ってしまうほど小さかった彼らも、
この数ヶ月ですっかり大きくなり、ようやく屋外でのトレーニングが始まるのだ。


 施設に運び込まれてから、これまでの彼らの生活は、
屋内の専用の部屋で、山のようなご馳走を食べ、
ぬくぬくとボランティアの人達の愛情に包まれて育って来た。


だが今日からは違う。


トレーニングと言う名のスパルタ教育が待っているのだ。

なぜなら、彼らはここで飼育されているのではなく、
再び森に帰る為の準備をしているだけなのだ……
 


 スカッと抜けた青空から強烈な太陽が顔を出している。
ゲイルさんに連れられたアライグマ3匹は、急いで木陰へと逃げ込んだ。

青々と繁った古木の葉が、強い日差しから彼らを優しく守っている。
 露に濡れた芝も、冷たい土の感触も、彼らには何もかもがきっと新鮮に見えるだろう。

 キュルルルー…

 不安そうに一匹のアライグマが鳴いて、ゲイルさんを見上げる。
ゲイルさんは軽く微笑むと、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。





 「ほらっ、こっちよこっち…ちゃんと付いて来るのよ…こっちこっち」

 遅れをとってなるものかとばかりに、彼らは必死になってゲイルさんの足元を
チョコチョコ、チョコチョコと付いて歩きだす。

小股でユーモラスに体を揺すって、なんだかアニメ映画でも見ているようだ。
ちょうどカルガモの親子を思い出して頂ければ分かりやすいだろう。


 彼らにとっての外界への第一歩は、
まず親代わりであるゲイルさんの後に続いて散歩をする事から始まる。

そしてこの散歩の中で、少しづつ回りの環境に慣れ、状況を把握し、
何でも自分で判断して行動出来るようにならなければいけないのだ。


 しばらくするとゲイルさんは、一匹づつ順に裏庭に連れ出し、
回りに在る物一つ一つを手にとって、丁寧に説明を始めた。
まるでお母さんが、小さな子供に優しく話し掛けるように、物語でも聞かせているように…


 僕は邪魔にならないように少し離れた位置に陣取り
カメラをアライグマの視線に近い位置までぐっと下げた。

ファインダーの中に飛び込んで来る映像は、何ともほのぼのとしていて微笑ましいのだが、
この行為が全てこの先に待つ、親離れの儀式、森へ返す為の練習だと思うと、
何とも複雑な心境にかられる。


 木登りの仕方、穴の掘り方、食料の探し方…

実に簡単な事のように思えるのだが、
子供のアライグマにとって、それらの作業はなかなか容易な事ではないようだ。

しかしこれが出来ないと言う事は、自然界では死に直結してしまう。

ボランティアの人達はこれから数ヶ月間、何度も何度も同じ事を繰り返し、
彼らに森で生きていく為の術を教えて行かなければならないのだ。 
 







 風の匂いが少し変わり、秋の気配を運んで来た頃、
僕は久々にクリティ・ケアの施設を訪れることにした。

アライグマに会えるのは、もしかしたらこれが最後かもしれない・・・

トレーニングは既に第二段階に入り、これからは人間との接触を極力減らして行く。
そして来年の春には、野生のアライグマとして、再び森へ帰って行くのだ。


キュルルルー…
  
屋外に建てられた、金網張りの小屋からアライグマの鳴き声が響いて来た。
冷暖房の効く快適な室内にいた数ヶ月前とは大違いだ。


キュルルルルー

また声が響いて来る。
もうその声からは、以前までの弱々しさは少しも感じられなくなっていた。

 「そうか、みんな随分たくましくなったんだな…」
 
僕には彼らの変化がなんだかとても嬉しく、そして少し寂しく思えた。


 


 久々に対面した僕達の事を覚えていてくれてるのか、いないのか?
一匹のアライグマが突然走り寄り、金網によじ登り始めた。

ガタガタ、ガタガタ金網を前後に勢い良く揺らし、
こちらを見ながら何かを訴えているように、僕には思えた。
すぐに他のアライグマ達もそれに続き、ガタガタ、キュルキュル大騒ぎが始まった。


      


金網越しに撮影を続ける間、その騒ぎは収まる事は無く、
結局僕はその声に誘われるように、またもや彼らの小屋の戸を開けていた。

もう二度と会えないかもしれない彼らの撮影を、金網越しで終わらせる気にはなれなかった。
 
そっと戸を開けて中に入ると、小屋の奥から勢い良く一匹のアライグマが駆け寄って来た。

 「おー…そうかそうか、やっぱり覚えててくれたのか…」

僕は嬉しくなり、少し腰を屈め、彼の頭を撫でようと手を伸ばした。

…が、

彼はその手をひらりとかいくぐり、一直線に僕の靴の前まで行くと、
靴ヒモをガジガジ齧りながらほどき始めた。

そう、彼が興味が有るのは僕本人ではなく、僕の靴の方だったのだ。
そして器用に右の靴ヒモを素早くほどくと、彼はすぐさま左の靴に取りかかった。

 「こらっ、お前ちょっと待て…」

 僕が慌てて靴ヒモを締め直そうと屈み込むと、
チャンスとばかりに肩と背中から他のアライグマがよじ登って来た。

 「ふんっ、そんな手で驚くもんか」

 もう何度もやられてるので、さすがにこの集中攻撃は予想していた。

・・・だが

僕が思っていたより遥かに、彼らは大きく、そして力強くなっていた。
 
ガリガリガリ…

相変らず鋭い彼らの爪が腕に突き刺ささって来る。
体が大きく、力が強くなった分だけ余計に爪が食い込んで来てなお痛い。

 ドスンッ…

「ウッ…痛ー…」

 天井を伝って来た別のアライグマが、勢い良く頭の上に降って来た。

こちらも重たくなっている分だけ、破壊力が倍増されて、後頭部に衝撃が走る。
そしてそのまま僕の頭に爪を立て、カシャカシャ、コネコネ髪の毛をこねくり回し始めてしまった。

 「ちょ、ちょっと君に洗ってもらわなくても俺はちゃんと頭洗ってるから、
こらっ、かゆい所も無いってば…」
 
僕は急いで体を起こして、洗髪攻撃から逃げようとした。
すると今度は背中にいたアライグマが一気に前に回り込み、
首から掛けていたカメラに飛びかかろうとした・・・

「わっ分かった、やめろ落ち付け、
俺はどうなってもいい、カッカメラには手を出すな…なっ、頼む…」
 
もうほとんど犯人とのやり取りのようになって、ひっちゃかめっちゃかだ。
 




大きく成長した彼らの表情を、フィルムに収めようとした僕は、
結局今回も、彼らの成長ぶりを身を持って知る事となった。
 

そして、彼らがどんどんたくましくなって行くと言う事は、
即ち別れの季節が、もう目の前に迫って来ていると言う事でもあった…



アライグマ物語5へ続く



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